雑記帳  (上が新しく、下が古くなっています)


帰国


 報告が遅れたが、この3月いっぱいで台湾勤務を終え、4月から横浜で暮らしている。さあ、工作再開だ! といいたいところだが、こんなに早く戻れるとは思わなかったので、工作室を準備していない。横浜のマンションは、残された家族が住めるだけのスペースしか確保していない。工作室どころか、オヤジの居場所にも困る状態である。
 しかしそれ以上の問題がある。それはモチベーションの低下。さすがに2年半も工作を中断すると、意欲が薄れてしまった。かつての自分であれば、万難を排して工作を再開しただろうが、今は状況に流されてしまっている。さて、当時の情熱をどうやって取り戻すか。まずは運転会やイベントに参加して、少しずつ充電していきたい。まあ「工作依存症」はそう簡単に完治できるものではないので(?)、きっかけを得るとすぐに再発するだろうと予想している。
(2015.4.8)


鉄道模型の工作技法


 鉄道模型の歴史は、小型化の歴史である。かつて日本ではOゲージが主流だったが、いつの間にかHOゲージがメジャーになり、今ではNゲージが主流になっている。なぜ小型化してきたのか。時代とともに実物の列車は長編成化しており、模型を小型化しないと実物の編成を再現できなくなっている。一方では、都市の人口が増え、個人で所有できる家屋の面積は減少傾向にある。そして工業技術の進歩により、市販の模型は精密になっており、細かいディテールをリーズナブルなコストで再現できるようになってきた。これらの要素が絡んで、鉄道模型は小型化してきたのだろう。この調子で小型化が進むと、いずれはZゲージが主流になるかもしれない。
 しかしここで冷静に考えると、乗り物の模型として手頃なサイズはやはりOゲージである。実際、幼児向けの鉄道玩具は、おおよそOゲージくらいのスケールになっている。幼児向けだからというのは理由にならない。大人向けだからといって、小さく作る理由はない。たとえば船舶模型など、経験を積むに従って大型のものを作る傾向にあるではないか。
 私が子供の頃は、すでにHOゲージが主流だったが、プラモデルと比較して、鉄道模型は何て小さいのだろうと思った。ましてNゲージなど、金太郎アメにしか見えなかった。それが正常な感覚だと思う。
 小型化により、鉄道模型の工作技法の優劣が、ひとつの基準に決定付けられた。一言で言うと、細かい作業をどれだけこなせるかである。精密ピンセットでなければ掴めないような、爪の先に埋もれるような微細な部品を、いかに正確に作り上げて、正確に取り付けられるか。それが工作技法の優劣を決しているのだ。
 これは果たして正常なことなのだろうか。そもそも模型というのは、再現したい密度に応じてスケールを選ぶべきものである。細かい部分まで作り込みたければ、模型のサイズを大きくする、これが普通である。鉄道模型だけがおかしいのだ。
 今のNゲージのメーカー品は、ルーペがなければ鑑賞できないレベルにまで至っている。しかし精密金型で作るのだから、細かく作れるのは当たり前だ。今の工業技術をもってすれば、顕微鏡でなければ判別できないディテールだって再現できるだろう。しかし、それにどれほどの意味があるのか。我々は、鉄道が好きだから鉄道の模型を作っているはずである。それなのに、いつの間にか、米粒に写経するような細かい仕事を競い合うようになってしまった。マクロレンズがなければ撮影できないようなディテールを作ることが、鉄道模型の目的なのか。私は非常に疑問に思うのである・・・
 台湾に来てライブスチームの工作ができなくなり、今はHOの真鍮キットを組んでいるが、思うように作れなくてイライラするばかり。で、思いついたのが、以上のような言い訳でございます。
(2013.10.1)


海外転勤


 またまた転勤の辞令が出た。ライブスチームを始めてこれで4回目の転勤である。今度の行き先は台湾! 期間はわからないが少なくとも3年と言われた。子供の教育を考えて、今回は単身赴任することにした。
 今まで万難を排して工作を続けてきたが、さすがに異国の単身アパートに工作機械を持ち込むのはリスクが大きく、工作は諦めざるを得ない。正直言うと、それほど落胆しているわけではない。私の工作人生もマンネリ化してきたので、ここらで自分を見つめ直すいい機会と思っている。ということで、ハンスレットは完成目前にして、完成時期が全く見えなくなってしまった。そして次に控えるC53は一体どうなることやら・・・
 海外赴任中に家族が国内で引越す予定があり、今は工作室の片づけをしている。旋盤、フライス盤は、いつものように分解して箱に詰めた。たび重なる移動に辟易しているので、荷物は可能な限り減らすことにした。ほとんど使わない工具・材料は思い切って処分し、過去の模型誌もほとんど廃棄した。鋳物の予備もすべて廃棄である。
 工作レポートはここで中断となるが、現地でサイト更新できる環境だけは整えるつもりである。いつの日にか、必ず工作を再開させたいと思っているので、気長にお待ちください。
(2012.8.20)


未来


 今から数百年後にこの趣味はどうなっているかということを考えてみた。
 実物はなくなっても模型は残る。小型模型を含めると、模型の蒸機は、実物の保存機、いや、実在したすべての蒸気機関車をも上まわる数が世に出ている。グレードアップしながらくり返し生産されている。おそらく現在の最新の電車の模型がこの世から存在しなくなっても、蒸気機関車の模型だけは作り続けられることだろう。しかし長い目で見ればそれは実物と模型のタイムラグに過ぎない。
 現在は復活蒸機の全盛期ともいえるが、今の動態保存機は資産を食いつぶして延命している。部品自体が特殊で、新たに製作するのはとても費用がかかるので、使えなくなった部品は他の静態保存機から調達しているのが現状である。しかしそれもいずれは底を突くだろう。さらに車輌全体がひとつの機械ともいえる蒸気機関車は、最新の鉄道工場では整備できない。動輪を削る旋盤や、巨大なボイラーの修理など、対応できる設備が限られている。それらの設備が老朽化して廃止されてしまうと、もう頼るところがない。ただでさえ費用のかさむ動態保存機の維持は、年々負担が増えてゆき、いずれ客寄せの観光用としてペイしなくなる。やがて数は減っていき、日本では1輌限り、それもなくなって世界で数輌という事態になれば、一般人が生きた蒸気機関車に触れることはできなくなるだろう。そして世代が交代すれば、生きた蒸気機関車を見たことのある人は、誰もいなくなってしまうだろう。写真や映像は残るにしても、それであの迫力は伝えられない。
 そこまでいくと模型はどうなるのか。動いているところを誰も見たことがないような機械を、模型で再現しようという気になれるのか。いわば平安時代の牛車の模型と同じで、作る人はいるかもしれないが、その数は極端に減るはずである。そうするとメーカーは商売が成り立たなくなり、ライブを所有しようとすると、自作しか手はなくなる。鉄道そのものは存続するだろうから、レイアウトは残るにしても、電動だけだと魅力は半減するので趣味人口は減り、レイアウトの数も減っていくだろう。そういう限られた場所で、きわめて少数の人々が自作のライブスチームを動かすことになる。話題にはなろう。「鉄道黎明期の蒸気車を模型で再現」という見出しで、新聞の片すみに出るかもしれない。しかしそれはもう趣味というより考古学に近い。
 さらに時代が進むと、ライブの映像や資料も消えてしまうだろう。資料というものは、それを保存する意志が継続しない限り、いずれなくなってしまうものである。古文書のなかで存続していくのは、政治、経済、文化の代表的なもので、マイナー趣味のライブなど、数百年という時の流れに耐えられるとは思えない。そこまでいくと、わずかな実物の写真と「蒸気で動く」という情報だけから、全てを推測で作らなければならない。たとえ作られたとしても、現在のライブスチームとは似ても似つかないものになるだろう。ことによると、蒸気発電の磁気浮上鉄道などということになるかもしれない。それはもはやライブスチームとは言えない。その時こそ、ライブの終焉ということになる。
 しかしそんな時代には、ライブの存亡を危惧する人間は存在しないのである。未来に誰も望まないことを、今から心配しても仕方がないのである。幸いなことに、ライブが終焉を迎える頃には、私も皆さんも、この世には存在していない。
(2011.8.4)


情熱を取り戻せ


 私は一度だけ、新聞に写真が掲載されたことがある(もちろん犯罪者としてではない)。高松市内の商業ビルに展示された、リニアモーターカーの模型を見学する小学生としてである。かれこれ40年も前の話だが、その頃からリニア鉄道は、子供たちの間で有名だった。戦後わずか15年で世界最速の新幹線を生み出した日本だから、リニアが走る日も遠くはないと思っていた。
 あれから半世紀、新幹線は時速300キロの壁にぶち当たり、リニア鉄道は待てど暮らせど現れない。そうこうするうちに、事もあろうに中国に出し抜かれてしまった。中国のリニアがオモチャで日本のリニアはiPadという発言があったが、たとえオモチャでも、先に走らせたほうが勝ちである。
 しかし鉄道に詳しい者は反論するだろう。日本の鉄道は、この50年間でシステムとして大きく発展した。過密ダイヤを正確・安全に維持する技術は、一部の悲劇的な例外はあるものの、全体としては世界に誇れるものである。最高速というシロウト受けする派手な目標は掲げず、社会の要求に合致した、より現実的な成果を追求した結果であると。確かにそうだが、それはまた、日本の社会が、事業に「夢」を託さなくなってしまった結果でもあるのだ。
 高度成長期の日本の技術開発には夢があった。エンジニアという職業は、欧米諸国に負けない優れた製品を作り出すという、カッコイイ職業だった。しかし今の社会では、下手に夢など語ると無能呼ばわりされる。冷徹に収益性を計算して、損になることはやらないのが優れた企業人ということになっている。エンジニアは、単なる金もうけの道具に成り下がってしまった。肉体的にも精神的にも疲弊した、みじめな大人の代名詞のようになってしまった。これでは、現代の若者が技術離れしてしまって当然である。
 日本がアジアの失敗例になる前に、高度成長期の情熱を取りもどさなければならない。男が一生を掛ける仕事は、単なる金もうけであってはならない。圧倒的にカッコイイものでなければならない。宣戦布告も大いに結構。カメに追い抜かれたウサギの悔しさをかみ締め、リニアを超える次世代の鉄道をめざして、情熱を注ぎ込むのだ!
 ノスタルジアに浸っているSLマニアが何を偉そうに、と言われそうだが、それはそれとして・・・
(2010.11.20)


予告


 現在、C53と並行して新しいプロジェクトを進めている。次の更新ではこの紹介になるはずだが、これを機会に、サイトをタイトルから刷新しようと思っている。
 以前より「模型蒸機の部屋」というタイトルは不適切だと思っていた。小型模型からスタートしたという経緯はあるが、タイトルからライブスチームを連想してもらえない。実際「ライブスチーム」で検索しても、なかなかヒットしない。そもそも「蒸機」という単語がマニアにしか通じない。一般の人は、このタイトルからサイトの内容をまったく想像できないだろう。ここまでインターネットが普及してくると、分かる人だけ分かれば良いというマニア路線を突き進むのも考えものである。
 そこで、タイトルを「ライブスチーム奮戦記」に変更することにした。サブタイトルの「ライブ奮戦記」からの引用だが、ライブと聞いてライブスチームを連想するのは鉄道模型愛好家だけなので、メインタイトルとしてはフルネームの方が良い。ライブスチームという単語もマニアにしか通じないという意見もあるが、さすがに「ミニSL奮戦記」にはしたくない。
 ということで今はせっせと新しいサイトを作っている。並行して新しいプロジェクトも進めており、なかなか次の更新ができそうにない。年内には何とかするつもりなので、もうしばらくお待ちください。
(2010.10.31)


塗料について


 塗料の種類はわかりにくい。ウレタン塗料の缶に「合成樹脂エナメル塗料」と書かれていたりする。エナメルとは本来、陶磁器の上薬のことだが、塗料の世界では、顔料などで色を付けた合成塗料の総称として使われている。これに対して透明の塗料はクリアと呼ばれている。「合成樹脂」は塗膜形成成分であり、その種類によって塗料が区別される。ウレタン塗料にはポリウレタン樹脂が、耐熱塗料にはシリコン樹脂が用いられている。ラッカーというのは合成樹脂の代わりに繊維(ニトロセルロース)を用いたものである。油ワニスを用いたものは「油性エナメル」と呼ばれるが、これを単に「エナメル」と呼ぶ場合があり、混乱のもとになっている。
 塗料はさらに溶剤も含んでいる。トルエンなど有機溶剤が使われており、悪臭の原因となっている。塗装後にすべて蒸発し、塗膜には残らない。有害で環境を汚すだけなので、最近は水を溶剤とする水性塗料や、無溶剤系の塗料などが多く使われるようになった。エアゾールにはさらにLPGなどの噴射剤が入っている。ウレタン塗料はこれらに加えて、塗装直前に硬化剤を混ぜる。これにより塗料に含まれたウレタンの低分子が架橋してポリウレタン樹脂となる。
 といった具合で、読んでいる人はわけがわからないだろう。書いている本人もよくわかってないのだから当然だ。これくらい塗料というのはわかりにくい。ようするに塗料は、(1)色を着ける染料・顔料、(2)塗膜を形成する樹脂など、(3)それらを混ぜて溶かす溶剤、(4)特殊な機能を付加する添加剤、からできており、それらがランダムに組み合わさっている。しかもそれらの成分は、メーカー側にとっては、できることなら開示したくない情報なのだ。だから塗料の缶の説明を読んだだけでは、わけがわからなくて当然なのである。
 家庭用塗料メーカーのサイトを見ると、たいてい、用途別に塗料を検索できるようになっている。それ以外に、シロウトが適切な塗料を選ぶ方法はない。では模型愛好家はどうすればよいのか。最も確実な塗料選択方法は、他人の作品を見て、これと思う仕上がりのものを見つけ、使った塗料の銘柄を聞き出し、同じものを入手する、これしかないのである。
(2009.10.7)


完成とは


 安部公房の「他人の顔」という小説の中に「完成を喜ぶのは、完成品の出来に対して無責任な者だけである」という一文がある。この小説を最近読み返してこれを見つけたとき、あまりの的確な指摘に唸らされた。安部公房は理系的な作家で、理系人間のかかえる煩悩を白日のもとにさらけ出すような悪夢的小説が多く、私は大好きである。
 レイアウトに完成なしなどといわれるが、完成しないのはレイアウトだけではない。工作物にはすべからく「完成」は存在しない。あるのは「放棄」である。放棄する理由は、手直しをくりかえしても時間ばかり浪費してほとんど改善が見られない、次に作りたいものが控えている、作りたいものはないが工作自体に飽き飽きしている、などである。そしてそれが一応の完成と見なされる形態であれば、自分自身を「完成」という言葉でだまし、祝杯を上げて一切の責任を放棄する。完成の喜びというものがあるとすれば、それは厄介なものから解放される喜びである。
 と、あまりに否定的なことを書くと反感を買うかもしれないが、こういう性格なのでお許し願いたい。いずれにせよ、完成を決めるのは、作品そのものではなく製作者自身なのだ。だから、完成の喜びを味わいたければ、完成の瞬間を注意深く選定しなければならない。最悪なのが、手直しをするつもりで検討していろいろ問題があって結局あきらめ、現状で完成とするという場合で、これほど後味の悪いものはない。
 完成が近づいたら、どこをもって完成とするかを吟味し、すべての自己矛盾を解決しておかなければならない。そして確定された完成に向かってカウントダウンで盛り上げ、最後の部品を作り、それを取り付けた瞬間に、自分の頭の中に明確なピリオドを打つ。大きく息を吐いて「よし、完成!」。この瞬間の心地よさといったらない。この時、冷蔵庫に祝杯用のワインが入っていれば言うことはない。それを飲みながら作品をながめる。けっして「点検」してはいけない。完成しているのだから点検は必要ない。「鑑賞」しなければならない。できれば完成後1年経過したつもりの目線で鑑賞する。アラが見つかっても、ああここは失敗して結局あきらめたんだったなと。すべてはいい思い出である。そして次の作品へと思いを馳せる。これぞ工作冥利というものではないか。
(2009.8.27)


国鉄型について


 現代の鉄道趣味は懐古趣味である。最新鋭の鉄道技術を追求する向きもあるだろうが少数派だ。それが証拠に、出版される鉄道雑誌は、国鉄型の特集記事がやたらと多い。新型車両が発表されても大して騒がれないが、古い車輌が引退するとなると、山のように鉄道ファンが詰めかける。これは鉄道ファンの年齢構成にも関係している。昔は、子供の頃の汽車ポッポへの憧れが昂じて、青年になって鉄道ファンになることが多かった。しかし今の子供は成長するとあっさり鉄道を捨てる。アニメやゲームなど、鉄道よりずっとおもしろいものがあるからだ。鉄道ファンは今や「鉄道ジェネレーション」と化している。時間経過とともに平均年齢は確実に上がり、その結果として、新しいものより古いものを求めるようになる。客観的に見ればそういうことになるのだが、「国鉄型」には、懐古趣味だけでは説明できない魅力があるようにも思える。
 鉄道ファンにとって「国鉄型」は最強のブランドである。それは画一化されたデザインによりもたらされたものだ。国鉄型車両の、統一された前面形状デザインは、高級外車の統一されたグリルデザインに匹敵する。国鉄が意図して作ったブランドではなく、単なる合理化の産物なのだが、そのデザインは客観的に見ても非常に優れていると思う。それは、長い時間をかけて少しずつ洗練されていった結果である。同じ労力をつぎ込むのであれば、多種多様の設計より画一化された設計の方が質が上がるのは当然だ。塗色についてもしかり。たとえばブルートレイン、あるいは湘南色の緑と橙の組み合わせなど。そしてそれらが脈々と踏襲されていたことに意味がある。だから第三セクターが国鉄型車両の色を塗り替えた途端に、人気がガタ落ちになったりするのだ。
 かつて合理性だけを追求してきた国鉄が、分割民営化され、鉄道車輌の魅力が再認識された結果として、現代の車輌は斬新で、多様なものになってきた。しかし逆にブランドとしての魅力は消えてしまった。鉄道に大して興味のない一般人の目で見れば、今の車輌は魅力的かもしれないが、熱狂的な信者は生まれてこない。これでは鉄道ファンは育たない。だが鉄道会社にとっては、それが正しい選択なのだ。鉄道システムが想定する顧客は「乗客」であって「鉄道ファン」ではない。ありがた迷惑の鉄道ファンは、せいぜいその目的に沿った懐古雑誌を片手に、古い車輌を求めて東に西に奔走してもらえば良いのである。ただし一部の旧型車輌による観光列車は別だ。あれは、はっきりと鉄道ファンをターゲットとして、償却の終わった価値の低い車輌を活用している。それもまた商売である。SL列車のように、採算度外視で地域活性化に貢献している例もあるが。
 鉄道趣味市場は、かつてない繁栄を見せている。鉄道模型の市場すら、成長を続けているらしい。それは「鉄道ジェネレーション」と「国鉄型」のお陰である。さらに富の配分が高年齢層に偏って、社会が想定する顧客ターゲットが高年齢化したことも関係している。いわば見せかけの繁栄であり、次の世代に生き残る保証は全くない。「国鉄型」に代わる強力なブランドが生まれない限り、熱狂的な鉄道ファンを存続させるのは難しいと言わざるを得ないだろう。
(2009.8.9)


情報提供


 人が、何か新しいことに興味を持って、それを始めてみようと決意する要因は何か。それはずばり「情報量」だと思う。すなわち、その事がらに関して得られた情報が多ければ多いほど、その人がそれを始めようと決意する確率は高くなるのではないか。興味の対象に関して情報を求めるのは当然の行為で、その時に潤沢に情報を提供することにより、その対象に関わる時間は長くなり、思考は発展し、強くその対象に傾倒する。中にはネガティブな情報もあるだろう。しかしそれは、それが情報の過半数を占めない限り、問題とはならない。逆に情報が不足していると、思考は堂々めぐりとなり、ふとしたきっかけでマイナス思考に陥ることがある。そうなると終わりである。たとえネガティブな情報でもそれが明確であれば、受け手が勝手に合理化して解消してくれる。人間は、不明確なものに対しては疑心暗鬼となるが、自分の思考の矛盾に対しては寛容なものである。
 さてここで全国のライブスチームメーカーに提言をしたい。それは、自社の製品を用いてライブスチームを始める過程を詳細に紹介した本を出版してもらいたいのである。数十万、数百万の投資を迷う者は、まず間違いなくその本を手にすることになる。その本の中で、キットの購入手順、必要工具と製作方法の紹介、実際の運転の手順とメンテナンスの方法、さらにクラブやレイアウトの紹介などを詳細に説明する。ビデオ映像も良いのだが、情報量は限られ、短時間で終わってしまうのが欠点である。それよりむしろ活字で大量の情報を長時間提供するほうが効果的だ。その本を読み終えたとき、その人の財布のヒモはすっかり緩んでいることだろう。
 もし、そんな本が出たら、まっさきに私が読んでみたい。唯一のライブ趣味指南書「庭園鉄道年鑑86・87」は、いい加減、読み飽きてしまった。とにかく、難しい技術解説抜きで、単純にワクワクさせてくれるようなライブスチーム解説本をもっと出版してほしい・・・単にそれだけのことなのだが。
(2008.11.20)


投稿記事の作法


 鉄道模型誌の投稿記事は、おしなべて同じような文体のものが多い。独特の文体である。とにかく謙遜表現が多い。「拙作」「お目を汚す」などという表現はここで覚えたようなものである。そしてやたらと言い訳が多い。「〜と言われそうですが」と批判を先取りしたりする(言われなければ気づかないようなものなのに)。製作中はやたらと「苦労しました」。結果として「なんとか自分なりに納得のいく作品にすることができました」ということになる。う〜ん、なかなか大人の文章だ。さすがは紳士の趣味?と思いつつ、気がつくと、とれいんの私の記事もしっかりこの文体を踏襲しているではないか。
 こういう文体はTMS(鉄道模型趣味)誌がルーツと思われるが、昔のTMSはそうではなかった。投稿記事が少なかったこともあるが、もっと教唆的で、むしろカジュアルですらあった。だんだんと投稿記事が増え、今ではやたらとこういう文体が目に付く。それは他の鉄道模型誌にも反映されている。ここまで画一化されると、もはやこれは「作法」といえるだろう。にわか評論家の多いこの世界において、身を守る手段として確立された「作法」であることは、容易に想像できる。
 そしてここのホームページも、少なからずこの「作法」の影響を受けていることに気づいた。確かに、自慢話のようなことは極力ひかえられ、謙遜表現が積極的に取り入れられている。他人のブログなどを見ると、さも自分が高名な評論家であるかのような高飛車な文章に出会うが、よく書けるものだと感心する。自分はおそろしくてそんな文章は書けない。毒舌を売り物にする評論家は多いが、それは社会的に認められた者のみに許される行為である。どこの馬の骨かわからないヤカラが毒をまき散らしたところで、読んでいるほうは不快になるだけである。だから私くらいのレベルの人間は、謙遜表現にいそしんでいた方が無難なのだ(これは謙遜ではなく本気)。その意味で、鉄道模型誌の「作法」は、理にかなっているのである。
(2008.9.15)


とっくに飽きています


 九州から岡山に転勤になって、やっと飛行機から解放され、東京への出張へはもっぱら新幹線を使っている。乗車時間は3時間半。ほとんどの出張が日帰りで、早朝に家を出て深夜に帰宅。とにかく疲れる。往復で7時間はじつに無駄な時間だ。本を読むくらいしかない。無駄と言えば、盆や正月で実家に帰っている時間、これもまた無駄である。ようするに、工作ができない自由時間=無駄ということだ。たとえ1時間でも工作ができれば、その日は満足して床に付ける。C53の製作に関して言えば、1時間なんて全体の0.1%にも満たないのだが。
 私にとってライブスチームの製作は、仕事と娯楽の中間に位置している。なかば義務感にかき立てられてやっている部分がある。仕事を除けば、自分の存在価値はこれしかない、だから黙ってコツコツと推し進めるしかない、と思っているフシがある。しかし工作ばかりでは息が詰まるので、たまには映画を見たり遊びに行ったりする。これが本当の娯楽。そして鋭気を養ったところで工作を再開する。娯楽と工作とはちゃんと時間配分をしている。まるで仕事と私生活のように。仕事が忙しいときはともかく、遊び惚けて何日も工作を休むということはあり得ない。工作を続けることがもはや習慣として定着してしまっている。朝起きると自然に体が会社に向かうのと同じように、夜帰ると自然に体が旋盤に向かうのである。これでは仕事と同じではないか、と思うことがあるが、ずっと工作から離れると、工作したくてたまらなくなる。これが仕事との違いである。当たり前の話で、金を浪費する趣味と金を稼ぐ仕事が同じであってはたまらない。工作を再開するのが苦痛になってきたら、「挫折」が待っているだけだろう。
 ひとつの趣味をずっと続けている人は似たようなものだと思う。よく飽きないものだと言われるが、とっくに飽きているのだ。単に生活の一部、体の一部に組み込まれているに過ぎない。しかしそのことが大事なのである。娯楽だけではつまらない。楽しみが過ぎ去るとむなしさだけが残る。夏休みの最終日の憂鬱と同じである。では仕事はどうか。継続的な達成感を仕事に求める人は多いだろうが、仕事はしょせん、食っていく手段に過ぎない。何だかんだ言っても金儲けが目的だから、納得できないことにも目をつぶらなければならない。その点、趣味はすべて自分の思うがままに、自分のペースで、自分の納得がいくまでやり続けることができる。仕事のように「定年」という形で全てを剥奪される心配もない。おそらく、人間が本来持っている達成動機を、最も理想的な形で発動できるもの、それが「継続的な趣味」ではないかと思う。
(2008.8.30)


手段が目的になる


 世間の理解が得られない趣味人の行為というものがある。ひとつは、コレクション趣味に関わるもので、買ったレコードに絶対に針を落とさないオーディオマニア、決して作らないプラモデルファン、天賞堂の模型を銀箱から出さない鉄道模型ファン、などである。私はこの行為を理解できる。手に入れた瞬間の喜びを永遠のものにしたいのだ。これらは、対象の使用目的がはっきりしているがゆえに、それを果たさない行為が理解されないだけである。たとえば絵画コレクターなども、絵を見る喜びより、手に入れたことの喜びの方が大きいのではないか。だとすれば同じことである。
 もうひとつは、行動を伴っているもののそれが目的にそぐわないというもので、たとえばパソコンを使う時間よりセットアップしている時間の方が長い、車の改造ばかりしていて全然乗らない、工作機械の工具ばかり作って作品が出てこない、趣味の本をひたすら読むだけで実際にその趣味を始めようとしない、などである。
 いずれも共通なのは、「手段が目的になる」ことだが、これがまた連鎖したりする。目的となった手段を果たすための手段がまた目的となり、その目的を果たす手段がまた目的になる。たとえば、ライブスチームを走らせたいためにライブスチームを作っているうちに、作ることが目的となり、そのための工具を作ることがまた目的となり、そのために機械設計の勉強をした挙句に、資格を取ったりするのである。こういう人たちは、その知識と技量をあなどることができない。いつまでもひとつの目的を掲げている者より、遥かに広い領域に足を踏み入れているからだ。
 自分のことを振り返ってみると、ライブスチームを走らせることから、作ることに目的が変化した。しかしそこから先が進んでいない。Williamの製作工程を見ると、成長したのは最初の2年くらいで、そこで技量は止まっている。あとはひたすら部品製作の繰り返しである。C53を始めて、木型製作という新たな分野が加わったものの、それ以降の成長がない。まあ趣味の世界のことなので、流れるがままに任せるしかない。
 もっとも、常に目的が変化する人にも問題点はある。それは、周囲の人だけでなく自分自身をも納得させる言い訳を、永遠に考え続けなければならないことである。
(2008.3.3)


たまには家具など作ってみようか


 ライブスチームの自作などをする人は、金属加工ができるし、木工だってできるだろう。家電の修理だって、普通の人よりは上手いだろう。たまには家族のために家具など作ってみてはどうか。身近な金物なども、余った材料で作り、家計の助けをしてはどうか。子供が喜びそうな玩具だって、ちょっと工夫すれば作れるだろう。趣味で会得した技術を、普段の生活にフィードバックしてこそ、趣味も生きるというものである・・・
 御説ごもっともだが、私はやらない。毎日工作ばかりやっているので、ライブ以外の工作は1分だってやりたくない。工作をやらない時間は、のんびりと本でも読んでいたい。 もちろん、切れた電球を替えたり、古新聞をくくったりなどの、最低限の亭主の仕事?は、やっている。しかし掃除機が壊れたら、電気屋に持って行けと言う。家具が欲しいと言われれば、通販カタログから探せと言う。趣味は自分のためのものだから、趣味人に付加価値を求められても困るのである。
 もともと自分は、体を動かすのが好きではない。だから計算ばかりしてなかなか工作が進まず、完成が遅れる。この趣味をやっている周囲の人々を見ていつも感心するのは、そのバイタリティーである。工作スピードが早い。運転会にも積極的に参加し、工作室も自分で作ったりする。さらに他の趣味もこなし、家族サービスも怠らない。自分にはとても真似ができない。自分は、C53の製作だけで手一杯である。
 それに、他のことに手を出してしまうと、そこでまた凝りだして収拾がつかなくなる。「慣性」が大きく、動き出しにくいけれど、動き出すと止まらないのだ。そして本業のC53がおろそかになる。それがよくわかっているので、手を出したくないのだ。たとえば・・・
 子供がもらってきたザリガニ2匹に端を発したアクアリウム趣味は、今や大きく開花し、90センチにアップグレードされた水槽の中では、大型熱帯魚が悠々と泳いでいる。専用の浄水器から、複数の濾過フィルター、加熱冷却機、pHモニターまで備え、水質管理は万全である。ザリガニはすっかり主役の座を奪われてしまったが、ライブスチームに費やす時間と費用を大きく狂わせた元凶はこいつらだった・・・
という次第で、私が何かに手を出すと、こういうことになってしまうのである。
(2007.9.20)


ある機関士の一日


 カラオケで歌って、歌手になりきる。しかし本当は、なりきっているのではない。本物の歌手は、自分の歌に陶酔したりしない。彼らはプロだ。常にベストの結果を出さなければならない。音程を外してはいけない。歌詞を忘れてはいけない。そして海千山千の観客を、魅了しなくてはいけない。全神経を集中させて、ぎりぎりの闘いをしている。激しい重圧に耐えている。そして、ひとつのステージがうまくいったとき、彼らは、得もいえぬ充実感を味わっているはずだ。
 その日、雅弘は本物の「機関士」になりきった。なりきる、ということが、どういうことかを理解した。

「藤本さんが、渋滞に巻き込まれて遅れるそうです。携帯で連絡がありました。二時まで運転をお願いできませんか」
 遊具部主任の岡崎が、停車場で機関車に投炭している雅弘に、そう耳打ちした。
「わかりました。機関車の状態がぎりぎりですが、何とか頑張ってみます」
 遊戯施設での運客。施設の従業員に混じっての、無料奉仕だった。三連休の最終日。天気も良く、光念寺公園は、いつになく賑わっている。停車場の客の行列は、途絶える気配がない。乗車率百パーセントで連続稼働。雅弘も、ずいぶん運転には慣れたつもりだったが、こんなにハードなのは初めてだった。
 機関車は、ここの施設が所有する、メーカー製の英国型キング・クラス。それに客車を四輌連結し、乗客はフルで十六人だ。雅弘を入れると十七人。この機関車にとっては限界に近かった。
 駅の係員が、乗客の乗車完了を確認し、笛を鳴らす。出発だ。
 雅弘は焚き口を閉じ、振り返って乗客を確認した。子供が少なく、大人の比率が多い。重い列車だった。嫌な予感がした。不安を振り払い、汽笛を鳴らして発車する。
 いつもなら、ここでドレン弁を開け、派手に蒸気を出すというデモンストレーションをやるのだが、そんな余裕はなかった。加減弁を一気に開け、列車が動き出したところでいったん絞る。スリップに注意しながら、加減弁を調整し、列車を加速していく。
 加速パワーが落ちている。停車中の蒸気圧力の回復が不十分だったようだ。蒸気を節約しながら運転し、さっき入れた石炭が燃えさかるのを待つしかない。給水ポンプのバイパス弁を解放して、ボイラーへの給水を完全に止める。給水はボイラーの水温を下げるからだ。少しパワーが回復した。
 列車は順調に加速し、定常速度に達した。やがて近づく十パーミルの登り勾配。あそこで一気に蒸気を消費してしまう。それまでに新しい石炭が、十分燃焼してくれればいいのだが。
 水面計をチェック。ボイラーの水位がかなり下がっている。給水を止めたせいだ。しかしここで給水を始めると、圧力が落ちてしまう。このまま耐えるしかない。
 十パーミルの勾配に突入した! 急激に速度が落ちる。加減弁を大きく開いて、速度を維持する。煙突からのブラスト音が激しくなる。ボッ、ボッ、ボッ、という連続音。シリンダーが破裂しそうな勢いだ。
 圧力計の指針が下がり始めた。蒸気の発生が、蒸気の消費に追いついてないのだ。
 圧力が低下すると、速度が落ちる。速度維持のため、加減弁を開ける。するとまた蒸気が消費され、さらに圧力が下がる。悪循環。そう、運転不能はいきなり襲ってくる。しかし、ここの施設は客から金を取っている。周回途中で立ち往生し、客を降ろすなどということは、許されなかった。
 雅弘は、焚き口をすばやく開け、火床の状態を確認して、すぐに閉めた。新しい石炭は、今まさに燃え上がろうとしていた。よし、これなら何とかなる。
 通風弁をわずかに開き、石炭の燃焼を加速してやる。しかし圧力は一向に回復しない。水面計は最下位を指していた。だが給水する余裕はない。勾配の頂上を過ぎれば、あとは下りで給水できる。あと四十メートル!
 蒸気圧がニ.五キロに下がった。ニキロを切ると、運転不能だ。
 あと三十メートル! 速度が落ち始めた。もう限界だ。これ以上、加減弁を開くことはできない。
 あとニ十メートル! 急激な減速。頂上が遥か遠くに感じられる。
 あそこまで、耐えてくれ!
 これ以上の悪あがきは逆効果だった。雅弘は、すべての操作を止め、全神経をブラスト音に集中させた。そこから速度を読み取る。徐行の速度だ。さらに速度低下は続いている。だが緩やかになったようだ。
 ふいに、ブラスト音の間隔が早くなった。機関車が徐々に加速している!  頂上を越えたのだ!
 しかしそれで終わりではなかった。傾斜を下る間に、ボイラーの状態を、最大限、回復させなければならない。雅弘は、一気に行動を開始した。
 加減弁をいったん全閉にし、速度が落ちない程度にわずかに開ける。給水ポンプのバイパス弁を閉め、ボイラーへの給水を開始する。通風弁はそのまま。そして、焚き口を開け、新しい石炭を補給する。小粒の石炭を選んで投入する。パワーはないが、着火は早い。カンフル剤だ。ここまでやって、回復を待つ。
 圧力計の指針が徐々に上がり、三キロを超えた。あと一キロで定常圧力だ。圧力の上昇に応じて、通風弁をちょっと絞る。水面計の水位は、まだ最下位のまま。ボイラー水が、かなり減っていたらしい。
 坂を下りきった。あとは停車場までの平坦区間。ここは力行運転だ。ボイラーの回復はまだ不十分で、油断はできない。加減弁をいったん開き、続いて、速度維持ぎりぎりまで絞る。停車場まで少しずつ減速していく。
 ポイントを越え、列車は停車場に入線した。加減弁を閉じて惰行運転させ、ブレーキを引いて、所定位置で停車させる。
 安堵している暇はなかった。次の周回が待っている。時間が惜しい。手動ポンプのレバーを前後にすばやく動かし、ボイラーに給水する。停止中は自動給水ができないのだ。火室に石炭を追加し、再び、手動ポンプを動かし続ける。
 すでに、客が乗車し始めていた。水面計は下位のまま。圧力の回復が間に合わない。ここで発車したら、今度こそ立ち往生だ。もう限界だった。
 やむを得ず、係員を呼ぶ。
「すいません、もうダメみたいです。三分だけ時間をもらえませんか。それだけあれば回復できます」
「わかりました。やっぱり、きついですか」
 係員は乗客に向かって声を張り上げた。
「お客さん、すいません。機関車の状態が良くないようです。調整しますので、三分ほどお待ちください」
 乗客が、苦笑しながら客車から降りる。やれやれといった表情。あからさまに舌打ちする者もいる。長時間、待たされた挙句のことだ。無理もない。
「機関車さん、調子悪いんだって」
 子連れの母親が、子供をなだめ、手を引いて降車させている。
 雅弘は通風弁を閉じ、機関車の前にまわって煙室扉を開けた。やはり煙管が詰まっている。長いワイヤブラシを煙管に差し込み、石炭の灰を掻き出す。これで機関車は、調子を回復してくれるはずだ。
 煙室扉を閉じ、再び運転席に戻る。焚き口を開き、火かき棒をつっこみ、石炭の燃え殻をつついて灰箱に落とす。通気性を確保するためだ。そして石炭を投入する。そこまでやって、再び通風弁を開ける。圧力が徐々に上昇し、やがて安全弁が吹いた。よし、完了だ。
 待っている客が、興味深げに作業を見守っている。本物の蒸気機関車の整備。これはこれで、おもしろい見世物なのだ。それが救いだった。

 午後二時前に、運転担当の従業員である、藤本がやってきた。やっと交替だ。何とか運転不能に陥らずに、切り抜けることができた。
 藤本が、恐縮して何度も頭を下げる。
「遅れて申し訳ありません、ご迷惑をおかけしてしまって・・・」
「いや、いいんですよ。今日は特別、客が多いんで、けっこう大変でしたよ」
 雅弘は、機関車の状態を藤本に申し送って、運転場を後にした。遅めの昼食を取るために、ひとりで公園の食堂に向かう。今日は疲れた。座りっぱなしで腰も痛い。しかし充実していた。

 以前、施設の定休日に、客扱いなしで運転したことがある。はっきりいって、全然、おもしろくなかった。ライブスチームの運転なんて、おもしろいのは最初の一か月だけだ。慣れてしまえば、同じ操作の繰り返し。目的もなく続けられるものではない。
 運客は違う。運客はゲームではない。乗せているのが、実際の人間である以上、たとえ無償奉仕であろうと、それは営業運転なのだ。だからおもしろい。だから、やめられない。恐らく、本物の機関士も、そうなのだろう。
 やっと機関士になりきることができた。雅弘は、そう確信した。

(2007.3.23)


不器用者のための機械加工


 ライブスチームの製作をやる前に、小型模型の真鍮加工をやっていた。しかし、なかなか自分の思うように事は進まなかった。不器用だからである。
 糸ノコで材料を切ろうとすると、必ずケガキ線からそれて、戻そうとすると反対側にそれ、これをくり返すうちに振幅が大きくなる。ハンダを適量流そうとするとなかなか流れず、どんどんコテにハンダを盛っていって、できあがるとハンダの山となり、延々とキサゲで削らなければならない。丸棒や角棒を切断すると、どんなに注意しても切断面が傾いてしまい、それをヤスリで修正しようとすると、平面が削れずに凸レンズのような断面になってしまう。ヤスリでアールを削ろうとすると、どんどん円形からくずれていき、ジャガイモの断面のようになる。ピンセットで小さな部品を持つと、弱くつかみすぎて部品を落としたり、強くつかみすぎて弾き飛ばしたりする。手が震えて、両手でピンセットを持たないと、取り付け穴に部品が入らない。それでも、下手の横好きで工作を続けていた。
 そんな私が機械加工にはまったのは、機械加工にはスキルが必要ないからである。スキルというと誤解を招くかもしれない。才能と熟練のみによって得られる、言葉では説明できない技術、つまり器用さが必要ないのだ。たとえば、日本人とくらべると英国人は不器用だといわれる。しかし英国人は、日本では見られないような素晴らしいライブスチーム作品を多数製作している。器用さが必要ない証ではないか?
 私がやっている作業は、すべて言葉で説明できるもので、そのとおりにやれば、誰でも同じ結果が得られるというものだ。機械加工に必要な熟練は、作業の段取りをうまく付けることだけである。加工法とツールの選択、材料の固定方法、切削諸元など。しかしこれらは頭の中だけで完結する熟練であって、指先とはリンクしていない。つまり器用さは必要ないのである。セットアップを済ませれば、モーターのスイッチを入れて、あとは送りハンドルを一定速度でまわすだけ。こんなことは小学生にだってできる。
 WILLIAMの製作記を見れば、普通の人が手作業でさっさと済ませてしまうことを、時間をかけて機械加工で仕上げていることに気づくだろう。手作業でやることだってできた。しかしそれをやると、不器用さが作品に出てしまうのだ。こうしてできあがったWILLIAMは、自分でも品位が高いと思っている。しかしそれは当然だ。WILLIAMは私が作ったのではない。機械に作らせたのである。そもそも機械とは、人間の能力の及ばない仕事をするためのものであり、手先の器用さに自信がないなら、機械に仕事をさせればいいのだ。C53の木型を作るのに、モデラなどという変な機械を導入した理由もおわかりいただけたと思う。私にとってライブスチームは、手先で作るものではなく、頭で作るものなのだ。
(2007.2.9)


自分で切断しますので、材料は多少、大きくてもいいです


 年末がさし迫り、寒さが日々厳しくなる12月のある晴れた日の夕刻、東京上空に巨大な物体が出現した。直径100メートルの丸棒である。夕日をあびて鈍い金属光沢を放っている。こちら側の断面は見えるが、反対側は夕暮れの空のはるか彼方に消えており、いったいどれだけの長さがあるのか見当もつかない。材質はS45Cであった。なぜわかったかというと、断面が緑色に塗装されていたからである。それを見た金属加工マニアのW氏の顔に、思わず笑みがこぼれた。
 しかし直径100メートルの丸棒はW氏の旋盤の主軸を通らない。それ以前に旋盤の振りを超えており、三爪チャックで突っ切ることもできない。それでは帯ノコ板はどうか。最大切断能力を超えている。手で切ろうにも、金ノコのフトコロが足りない。あとは外注するしかないが、こんな材料を切れるカッターを持っている町工場はないだろうし、直径100メートルのアーク切断となると、しぶい顔をされるのは目に見えている。結局W氏は、その丸棒の使用をあきらめるほかはなかった。業者に「多少、大きくても良い」などと、あいまいな注文を出したのがいけなかった。材料を手配するときは、自分が持っている設備の能力をよく考えて、手配しなければならない。(一部、わかりやすくするために誇張してあります)
(2006.12.22)


私の日常


 普段どんな生活をしているのかとよく聞かれるので、私の日常を少し具体的に書いてみたい。
 私は普通の会社員だが、地方工場勤務のエンジニアなので、都会のサラリーマンとは違う。普段着で出勤して制服に着がえて仕事をする。仕事はわりと忙しいほうだろうか。朝7時半に家をでて、帰宅はいつも夜9時過ぎである。それでも勤務中、時間があいた時などは、工作の段取りを考える。パソコンのテキストベースでメモする。
 帰宅すると、子供達はすでに寝ているので、夕食を済ませればあとは趣味の時間となる。しかし最近はなかなか気力がわかず、PCに向かってメールやウェブ、はたまた雑誌や本を見たりする。ほとんど鉄道関係か工作関係なのでだんだんテンションが上がってきて、さあやるかということになる。
 昼間考えた段取りをPCの画面に表示させ、それを見ながら工作を始める。表計算ソフトもよく使う。たとえばフライス盤のXY軸の位置など、座標からダイヤルの目盛りを計算して表示させ、その表に従って工作をする。タップの下穴サイズや切削諸元などもすべてPCに入れている。CADデータも数値は記入せずに、加工のたびに画面をいじって必要な数値を取り出している。紙を使うのは角度ゲージを印刷する時くらいで、ほとんどペーパーレスである。
 そのためPCは工作機械の間近にあり、工作中にいじるのでマウスやキーボードはすぐに油まみれになる。キーボードは字が読み取れないほど真っ黒になったら、アルコールで拭いて掃除する。フロッピードライブなどの機械部品はキリコの被害で壊れることが多い。しかしこのスタイルが最も効率が良いので、PCは消耗品と考えている。PCにさわる前に手を拭くくらいのことはしている。手ぬぐいは油まみれのものから、わりと綺麗なものまで三段階くらいがあり、順番に拭いていく。そうしないとすべての手ぬぐいがすぐに油まみれになるからである。
 旋盤の自動送りで長い材料を削っているときなど、ずっと待っているのは無駄なので、PCで設計をしたり段取りを考えたり、場合によってはゲームをしたりDVDを見たりもする。切削音で加工終わりを判断しなければならないのでまあ集中はできないが。フライス盤には自動送りがないので、ダイヤルをまわしながらCDを聴いたりするが、これもあまり楽しめない。
 ひとつの工程が終わったら、ひととおり工具を片づけて簡単に掃除をする。これをやっておかないと、やがては工具探しにむだな時間を費やすことになる。片づけるといっても他人の目から見れば散らかったままに見えるらしい。しかし私にとっては、何がどこにあるかを把握できる状態が「片づけられた状態」なので、見た目の問題ではないのだ。
 夜11時を過ぎると騒音が気になりだす。あまり音の出ない工程を選んでやるようになる。12時がほぼタイムリミットである。それから工作室を出て手を洗い、トイレに行って入浴して、やっとビールが飲める。またしてもPCに向かっていると、いつのまにか夜2時近くになる。ああ今夜も夜ふかししてしまった。明日の昼の会議ではまた睡魔と戦わなければならない・・・
 休日は子供と遊ぶことが多く、工作はやはり夜しかやらない。以前は休日ともなると一日中工作をして家族の非難を買ったものだが、最近は明らかにテンションが落ちており、なかなか作業に取りかかれない。始めてもすぐに休んでしまう。暑い夏の日中などなおさらである。「家族サービス」は、工作をさぼるには良い口実である。
 そういえば、新しい工作室の紹介を忘れていた。岡山にもどって、今度は一戸建て(借家)住まいとなった。工作室は当然確保したが、間取りの関係で、二階のいちばん奥になってしまった。広さはマンションのときとほぼ同じだが、木造で耐荷重が心配なので、古本など不要なものはなるだけ工作室から出すようにしている。さらに階段が急なので、重量物の運搬は難しい。運転会の前にWILLIAMを降ろしたときは、奥さんに手伝ってもらったが、かなり難儀した。今はもう上げるのをあきらめて、掃除道具などとともに階段下の収納スペースにおさまっている。5インチC53を作ってはいるが、組んだ状態では、たとえ下まわりだけでも階下に降ろすことはできないだろう。ここにいつまで住むかはわからないが、引越しのときにすべて分解して運ぶつもりである。それまではどこにも持ち出せないということになる。もし次の引越しの前に完成してしまったら、分解して外に出して組み上げ、犬小屋を5個くらい縦にならべて機関庫でも作るか・・・
(2006.9.4)


事のはじまり


 最終章になって最初のことを書くのもまたおかしきことかな・・・
 TMSが毎号のようにライブ記事を掲載していた70年代、小高模型のペーパー車体に満足していた少年にとって、ライブスチームはKing of Kingsともいえる、夢のまた夢の世界であった。なんともはや、こんな鉄道模型もあるんだな、子供の自分には無縁の世界、いや、大人になったって無縁だろう、と思っていた。それから四半世紀、鉄道模型を再開する少し前に、とある男性誌にアスターの1番ゲージC56キットが紹介されていた。当時、独身貴族だった自分にとって、かつて羨望の的であったライブスチームは、手に入れようと思えば手に入れられる存在になっていた。真剣に悩んだ。そして結局、やめておくことにした。運転する場所の問題もあったが、キットを完成させる自信がなかったからである。失敗すれば、25万という大枚をドブに捨てることになる。慎重だったのではなく、本当に自信がなかった。当時の自分にできることは、パソコンの組み立てくらいのものだったのである。
 それから数年後、細かい仕事は手が震えてこなせないような私が、清水の舞台から飛びおりる覚悟で買ったのが、エコーモデルの20tCタンクだった。完成車両とレイアウトで始めたNゲージを予算10万以内でしめくくり、鉄道模型はそれきりにしておこうと思っていた矢先のことであった。何がきっかけだったか忘れたが、1週間くらい悩んで購入にふみ切ったことは覚えている。この真鍮バラキットの組み立ては、生まれて初めての金属工作であり、とてもエキサイティングな経験だったが、この時点ではまだライブなど念頭になかった。
 ところがある日、雑誌にアスターC56の広告が再び掲載されているのを発見した。そうか、昔悩んだあのキットはまだ売れ残っていたのか。まあ今の自分なら、アスターのキットも恐るるに足らないだろう、などと考えたのが運のつき、どんどん思考は飛躍して、気がついたらC56を注文していたのだった。こうして私はライブスチームを始めたのだが、今思えば、真鍮キット製作はライブ入門のためのプロローグだったような気がする。さらにそのC56も、早々に玄関の置物と化した、これまたプロローグだったのである。
 1番ゲージで満足できなくなり、近くに一本松という素晴らしいレイアウトが存在していたこともあり、何とか人の乗れるライブを始められないかと模索を始めた。問題は予算で、技功舎の3インチ半が250万もする! 論外である、あきらめるしかないか、と思っていた矢先、今はなき「ライブワーク」のホームページを発見する。「鋳物キット」と称して、5インチライブが20万程度で売られている。これはいったい何ぞや? いくら何でも安すぎる(金銭感覚が麻痺しかけていた・・・)。うさん臭いが、調べてみる価値はある。こうして情報収集を始め、英国の自作中心のライブ事情を知り、参考書を借り、実際に自作した人の話を聞き、例によってどんどん思考が飛躍した結果、「ライブ奮戦記」がスタートしたのであった。記録は1998年10月からになっているが、実際に連載をスタートしたのは1999年の2月、マイフォードを注文した直後である。さらに言えば、HO記事で「模型蒸機の部屋」を開設した時点ですでに、いずれはライブ記事で埋めることを決意していた。
 今回、何が言いたかったのかというと、私はほんの10年ほど前までは、パソコンの組み立てがやっとこさの、平凡な男であった。そんな私がライブ自作を始めたきっかけは、まさに偶然のつみ重ねでしかなかったのだが、始めてみればこのとおり、やってやれないことは、ないんである。金属工作、とりわけ機械加工は、文句なくおもしろい。おもしろいから継続できる。そして、継続していれば誰だって、いやでも上達するのだ。「三年経てば赤子も三つ」である。ちなみに、今までに投資した金額を製作期間で割ると、しがないサラリーマンの小遣いで十分にまかなえる額になっている。
(2005.8.3)


HP容量


 ずっと以前に「HPの容量が続く限り連載を続ける」と書いた記憶があるが、まさかこんなに連載が続くとは思っていなかった。というか、6年も費やしてまだ完成しないとは予想もしていなかった。HPの容量制限は10MBであるが、実は二度にわたって破綻している。ある月とつぜん、アップロードが拒否されたのだ。さすがに管理が行き届いているようで、規定以上は1バイトも許してもらえないらしい。プロバイダを変更するのは面倒だし、容量アップのため毎月余計な金を払うのもしゃくである。かといって、いまさら広告入りHPにもしたくない。となると、何とかして容量を減らすしかない。
 まず、使用してないファイルをすべて調べ上げ、残らず削除した。しかしこれでしのげたのは1か月。翌月、再びアップロード不能となってしまった。続いて、HOのページを削除した。自分のPCにはファイルが残っているので、いちおう「休止中」ということにしたが、ライブの記事と比べると価値も低く、二度と復活することはないと予想している。しかしこれだけでは1割もかせげない。あとは写真の画質を落とすしかない。半日がかりで、収録されている画像ファイルの画質をすべて1割ほど落とした。効果はてきめんで、一気に残り容量が増えた。これで完成までしのぐ予定だったが、さらに工期は延長され、三度めの危機が迫っている。完成のあかつきには大きな写真を何枚も掲載したいところだが、とてもおぼつかない。また画質を1割落とすかな・・・
 ということで、完成に向かって工作のクオリティーは落とさない決意だが、HPのクオリティーはだんだん落ちていくことになるので、ご承知おきください。
(2005.5.9)


手品


 相手に1枚の小さな円盤を手渡す。直径4センチ、厚さ2ミリの鉄でできた円盤で、上下が平行な単なる平板である。それを確認してもらったらその円盤を定盤の上に置き、指先ではじくと、レコードのターンテーブルのように回りはじめ、いつまでも止まることがない。相手はたいそう不思議がり、定盤の裏をのぞいたりするが、何の仕掛けもない。回っている円盤を取り上げ、再び相手に手渡す。今度はじっくり円盤を検分しているが、いくら見ても単なる円盤であり、仕掛けは全くわからない。さて、このタネあかしは?
 実は、この円盤にはちゃんと芯がある。中心に、直径2ミリ、高さ0.05mmの突起があるのだ。旋削で削りだした突起で、外観上は切削マークに隠れて全く見えない。中心を指先でなぞると、わずかにつっかかりがあるという程度。円盤の外径と突起とは旋削で完全に同心円に仕上げてあり、板厚も均一に仕上げてある。芯の断面も正確に平行が出ている。これを精度の良い定盤の上に置くと、外周が接触することなく芯のみで直立する。そしてこれを回転させると、木製のコマとは比較にならない安定度でいつまでも回り続けるのだ。外周の浮き上がりも目で確認できないので、円盤は定盤に貼り付いたまま回っているように見え、それだけで不思議な光景となる。
 じつは、たまたまこういう円盤を作ってしまって、たまたま定盤上で回りはじめて、自分でも驚いてしまったという次第である。この円盤は今、WILLIAMの焚口戸になっている。
(2004.12.4)


いいわけ


 私は、ひとつの課題に集中してじっくりと考察するのも好きだが、頭をからっぽにして単純作業に従事するのも嫌いではない。以前は仕事で量産用治具の設計などをやっていたが、何十個という治具の組み立ても自分でしていた。そんなことは担当者に任せろ、おまえは他にやることがあるだろうと怒られたものだが、上司もまさか好きでやっているとは思わなかったに違いない。
 ラインで働く作業者、特にパートの女性などは、単純作業を割り当てられることが多い。くり返し動作は極限まで洗練され、ロボットでもかなわぬ速度と精密さで作業をこなしている。こういう仕事は男には絶対に真似できないなどと言われるが、やれないのではなく、やりたくないのだろう。しかし私にはそれができたりする。ワーカーズ・ハイとでも言おうか、単純作業に長時間従事していると、気分が良くなってくるのだ。ライン作業は人間疎外などと言われたものだが、それは騎馬民族の西洋人の発想であり、農耕民族の日本人にとっては、単純な、くり返し作業こそ、はるか昔からなじんできたものではないか。自分もしっかりその血を受け継いでおり、それは模型作りにも大いに影響している。
 たとえば材料の切り出し。バンドソーを導入するなりレーザーカットを依頼するなりすれば簡単なのだが、そこまで踏み切れないのは結局、金ノコでギコギコやるのが好きだからである。直径40mmくらいまでの鋼丸棒であれば、手作業で切断する。やり始めは、切り込みが一向に深まらずにうんざりするのだが、ある程度進むと、やめられない、止まらない。休憩をはさみながら延々と続けてしまう。60本のステイ用ネジの自作も、苦痛だったのは最初の10本くらいで、その後は時間が経つのも忘れて延々と続けてしまった。そして私が凝り性と言われるゆえんもここにある。すなわち、工法を簡略化して、失敗するのではないか、精度が出ずに不具合が生じるのではないかという不安を抱え込むくらいなら、ここまでやれば確実という方法を決めて、あとは何も考えずに決めたとおりの作業に従事する、この方が好きなのだ。おかげで私の機関車は5年を過ぎてもまだ完成しない。しかし趣味に納期はないのだから、自分のペースでやれば良いのである。
 ということで、今月は真鍮板の切り出しをチマチマやっただけで、報告するほどの進捗がなかったので、奮戦記を休ませていただくことにします。ついでに「完成予定2004年」というのも、撤回させていただきます・・・
(2004.9.17)


ライブスチームのシェイを作ろう


 ついに出版された。本の内容に関して以前から噂は聞いていたが、まさかこれほどのものとは思わなかった。「驚愕」のひとことである。もしあなたがこの本を買うかどうかためらっているならば、迷わず注文することをお勧めしたい。本の内容が評判となり、あわてて本屋に駆け込んだときにはすでに売切れてしまっている可能性がある。この本は、ライブスチームの設計・製作者として世界的に高く評価されている平岡幸三氏が、全精力を傾けて著された本であり、現存するライブスチーム関係の書籍の中で、世界一といっても過言ではない。この本を読んだ友人は「日本人に生まれてよかった」とまで言及している。
 私の場合、ちょっと複雑な心境である。というのは、この本の出現によって、私の書棚に並んでいる参考書の多くがその存在価値を失ってしまったからだ。たとえば材料や設計法の解説など、多数の文献の中からライブ製作に必要な情報が抽出されて、コンパクトにまとめられているのだ。とはいえ、ここには私が今まで知りえなかった情報も満載されている。たとえば安全弁の設計方法、銅ボイラーのスケール除去方法など。直接平岡氏よりご教授いただいたバルブシーティング法に関しても、この本に明確な理論と手順が示されていた。
 ライブ自作に必要な知識はほぼ習得したつもりでいたが、まだまだ不十分であることを思い知らされた。私も将来は本を出版などと軽く考えていたが、その道の険しさを再認識させられた。とにかく、平岡氏の方法論には一切の妥協がない。まさにライブの王道である。ライブの楽しみ方には様々なアプローチがあるが、正統派のクラフツマンシップとはいかなるものか、知っておいて損はない。この世界に入って最初にこの本を手にされる方は幸福である。
 最後に情報をひとつ。現時点でこの本は日本書籍出版協会のデータベースにまだ登録されていないが、「クロネコヤマトのブックサービス」の「本を手入力」を利用すれば、すぐに入手することができる。
(2004.8.1)

 題名:ライブスチームのシェイを作ろう
 著者:平岡幸三
 出版社:機芸出版社
 価格:本体8095円+税


高松−多度津


 亡父の実家が香川県の多度津にあり、幼少の頃は、毎年夏休みに家族で一週間くらい遊びに行っていた。多度津は昔の港町で、今ではすっかりさびれているが、当時は路面電車が走るほど栄えた町だった。現在でも旧家や土蔵が数多く残っているが、当時はほとんどそういう家ばかりで、近代的な高松の町並みとは一線を画していた。父の実家は食堂で、やはり古い家だった。中庭をめぐる廊下の突き当たりに、くみ取り式の便所があり、夜中にひとりで行くのは大変恐かった。厨房にはうどんを切る機械があった。手打ちうどんがもてはやされる前の時代である。うどん粉は足で踏んで鍛え、この機械で切り、ゴエモン風呂のような巨大な釜でゆでる。厨房一帯は油くさかった記憶がある。自分はうどんより蕎麦が好きで、ざる蕎麦ばかり食べていた。
 すぐ近所に石切場があり、いつも石を打つ音が聞こえていた。そこから海に向かって一町ほど歩くと、貨車の留置線があって、その先に船着き場がある。さまざまな二軸貨車は、子供の私にとって、とてつもなく巨大に見えた。貨物列車の下をくぐって船着き場に降り、ヤドカリやカニを捕まえる。カニはいくらでもいたが、ヤドカリはなかなか見つからず、捕まえると持ち帰って家で飼った。スルメなどを与えるのだが、すぐに死んで臭くなる。
 多度津には高松から国鉄で行く。1時間にも満たぬ旅だったが、国鉄に乗る機会は他になかったので、とても楽しみだった。発車前に窓越しに駅弁を買い、車内で食べる。折詰めのにおいがしみついた固いご飯が、私には大変なご馳走だった。梅干しのたねを窓から吐き捨てて、祖母におこられたものである。当時はまだ蒸気機関車が走っており、一度だけ、蒸機牽引列車で多度津に行ったことがある。しかし幼少の私は、古くさい旧型客車よりカラフルな気動車の方が好きだったので、今日はどうしてジーゼルカーに乗らないのかと文句を言っていた。
 郷里ではコトデンを"電車"と呼び、国鉄を"汽車"と呼んでいた。「汽車に乗りたい、汽車に乗りたい」とせがむ私を見かねた父は、いつからか高松駅に連れていってくれるようになった。高松駅まではコトデンで行く。電車に乗って汽車を見に行くのである。入場券を買って駅構内に入り、父は私の気がすむまで汽車を見せてくれた。ターミナル式の高松駅は私にとって郷里で一番素敵な場所だった。ずらりと顔を並べた急行気動車の赤とクリームの塗色は、当時まだ茶色とクリームのツートンだったコトデンと比べていかに鮮烈だったことか。構内に響くディーゼルのアイドリング音、連絡船から吐き出され、桟橋を渡って列車に急ぐ人々、ホームを行き交う運搬車、やがてけたたましく発車ベルが鳴り、人々はあわてて列車に駆け込む。ベルが鳴り終わりドアが静かに閉まると、列車はエンジンの唸りを上げながらゆっくりと動き出す。窓から手を振り別れを惜しむ人々。列車は轟音とともに加速し、紫色の煙を残して去っていき、ホームには再び静寂が訪れる・・・ 私にとっては壮大なドラマであったが、父に鉄道趣味はなかったので、さぞかし退屈な時間だったろう。しかし口数少ない父にとっては、息子とふれ合う貴重な時間だったのかもしれない。
 十年ほど前、ひとりで多度津を訪ねたことがある。昔の記憶を頼りに父の実家があった場所を探したが、見つけることはできなかった。多度津の街をのぞむ小高い丘の上にある「桃陵公園」だけは健在で、そこにある「一太郎やあい」の立像(母親が息子の出征を見送った話から建てられた)は、昔と変わらぬ姿で立っていた。しかし立像が見すえていたはずの港は埋め立てられ、留置線があったはずの場所には、広い国道が走っていた。
 私が昔の鉄道の情景を思い起こすとき、高松から多度津に向かう車窓から見た風景が、そして昔の多度津の街並みの情景がオーバーラップする。そこには、穏やかな日本の風土に溶け込んで生活を営む人々の暮らしが、そしてそこに違和感なく共存している鉄道の姿があった。私はいわゆるコレクターではないので、鉄道用品はほとんど持っていないが、唯一「高松−多度津」の表示板だけは持っている。それは、この区間こそ私の鉄道趣味の原点だからである。
(2004.5.5)


マラソンかハイキングか


 ライブスチームを作り始めた頃は、とにかく一日も早く完成させたかった。全力疾走でボイラーを完成させ、これで半分できたようなものだと思っていたが、それからがまた長かった。EXCELで部品リストを作り、何%の完成度かを自動集計できるようにしたが、1日工作をして完成度を更新しても0.2%くらいしか増えない。並行して設計しているので作るべき部品点数は増えていき、せっかく上がった完成度がまた落ちる。全力疾走は続かなくなり、マラソン状態に入ったが、2年、3年と経過してもまだ半分もできない。一体、いつになったら完成するのか。本当にこんなことをあと何年も続けていくのか。確かに高い工作機械を買ったし、HPで進捗を報告しているが、そんなもので自分の人生を縛られるいわれはない。いやならやめてしまえばいいではないか。
 以前、TVで家具職人のドキュメントがあったが、ひとつの作品を仕上げるのに三ヶ月を要するとか。そして作っている時間は苦痛の連続であり、しかし完成したときの達成感が大きいのでそれをかてに続けているということだった。言っちゃあ悪いが、それは三ヶ月だから耐えられるんじゃないですか?五年間耐えられますか? 私は耐えられない。残念ながら私にはそんな精神力はない。もうマラソンはうんざりである。
 そんなことを考えて工作を中断したことも何度かあった。しかし習慣とはこわいもので、数日で工作がしたくてたまらなくなり(というより、工作以外の娯楽がつまらなく感じて)、また再開することになるのだった。今はどういう状態かというと、工作に熱中しているわけではないが、嫌々やっているわけでもない。目の前に旋盤があるので、何となく材料をチャックしてスイッチを入れてしまう、そういう感じである。時には全くやる気が起こらないこともあり、そんなときは何もしない。どうせ二、三日すればまたやりたくなってくる。いわばハイキングのようなもので、気分がよいときは歩が進み、疲れたら休む。そして、早く完成させたいという気持ちも薄らいできた。この調子でやっていれば、まあそのうちできあがるだろう。ハイキングから帰れば夕食が待っている、その程度の期待である。
 HOBBY PLANETの真木氏のHPに以下のことばがある。
「仕事から帰ってちょっと旋盤をまわしてみましょう。仕事の疲れやストレスが消えて部品が少し完成に近ずきます」 ライブスチーム以外にもいろいろと趣味を持ちながら、コンスタントに工作を続けておられる同氏ならではのアプローチだと思う。決して片意地を張らず、気負いもなく淡々と続け、気がつくと何台も機関車が完成している。私も遅ればせながらこの境地に近づいてきたような気がする。もっとも、工作の遅い私は、五年たってもまだ1台も完成していないのだが。
(2003.8.14)


ネジとは緩むもの


 機関車のように全体が振動にさらされる機械は、ネジが緩みやすい。何年も運転されているロコなど見ると、小ネジが何本か抜け落ちていることを発見する。ネジが緩むメカニズムは簡単である。ネジには常に緩む方向に回転力がかかっている(螺旋が斜面なので)。それをネジの摩擦力でくい止めているわけだが、ここに振動を与えると摩擦力が瞬間的に減少し、ネジが少しずつ回転し、緩むとますます摩擦力は減り、完全に緩んだ状態からさらに外に向かって叩かれて回転し、ついには抜け落ちてしまうのである。
 ネジ緩みの原因のほとんどは、締め付け力の不足である。強すぎるかなというくらいに締めれば良い。ロックタイトなどネジ専用の接着剤で固定するのも有効である。プラスネジは、強い力で締められないので、なるだけ使わないようにする。緩み防止のためのスプリングワッシャは、一説では振動を助長するのでかえって緩みやすくなるという。ナットを追加するのも、下のナットが意味をなさなくなり、効果がない。
 最も確実な緩み止め対策は、ネジを使わないことである。WILLIAMは設計が古いためか、可動軸にもネジが使われているが、スナップリング、Eリングで代用できる部分も多く、これらを使わない手はない。特に第一クランクピンとサイドロッドを固定する部分の右側つまり非公式側は、前進でねじの緩む方向に回転トルクが掛かるので危ない。ここのネジが抜けて走行中にロッドが浮き上がったりすると、クロスヘッドとクラッシュして機関を破壊してしまうことになる。平岡幸三氏のペンシルバニアは、表からフランジ付きのピンを貫通させて、裏をEリングで固定する方法を取っており、分解は面倒になるがこの方が確実である。
(2003.8.4)


ライブスチーム振興


 ライブスチームは超マイナーだが、超マイナーであるがゆえの楽しみというものがある、と書いたが、実は単なる負け惜しみだったりする。ライブ人口だって多いに越したことはない。ということで最近、ライブの振興についていろいろ考えている。
 ライブも一般の鉄道模型と同様、時間・金・場所のトレードオフになるのだが、小型模型とはケタが違う。特に金の問題は大きい。ライブ人口が少なく、そして高年齢層に偏っている原因はこれに尽きるだろう。キットにしろ自作にしろ一般的には初期投資が大きくなってしまう。ライブは金持ちの道楽、というのが普通の鉄道模型ファンの共通認識ではないか。自分も昔は、技功舎やOSのキットの値段を見て、自分には無縁の世界だと思っていた。月刊トレインなど、ライブは素晴らしいと歌ってくれているが、そんなことはわかっている、金さえあれば自分だってやるわいと思っていた。
 そんな私がここまでライブにのめりこむきっかけとなったのが、アスターホビーのC56だったわけだが、たとえばライブにちょっと興味があるだけという人がこのHPを見て、マイフォード旋盤の値段を知った時点で、自分には関係ない世界だと見切ってしまうかもしれない。これはまずいと思っている。私の選択が正しいわけではない。実際、経験者の指導のもとに中古の旋盤を探せば、数万の投資で始められるのだ。いずれにしろもっと楽に、お手軽にライブを始める道はないものだろうか・・・
ライブスチームの魅力といえば、
   (1)実際に乗って運転できる
   (2)本物のSLと同じ機構で動く
だと思うが、最初から(1)と(2)を両立させるのは大変である。そこで(1)を優先させたのが電動ライブ、(2)を優先させたのが小型ライブということになる。まずはこのあたりから足を踏み入れてはどうだろう。(1)の電動ライブであれば、下回りだけのキットなら数万で手に入るし、自作も難しくはない。運転する場所は、自宅に庭があれば、とりあえずアルミアングルなどで軌道を自作すれば良い。なければマンションの廊下で数秒間の往復運転だけでも楽しめるだろう。屋外であればエンジンライブという手もある。一本松同好会のK氏は、草刈り機用のエンジンを利用して、実費1万円程度で立派なディーゼル機を作っている。(2)に関しては1番ゲージというのが一般的で、私がまさにこれだった。1番ゲージはそれ自身を最終目的にできるほど完成された世界である。自作するにしてもミニ旋盤で事足りる。走りの機構は本物なので、運転台の上で車輪を空転させるだけでも楽しい(私はそうやって楽しんだ)。また小型という意味では、科学教材社のエレファント号などという究極の安価ライブもある。
 こうしてライブを初体験したら、次のステップとして、クラブなり個人レイアウトなりにコンタクトすれば良い。設備を、情報を、そして心強い仲間を得るという意味で、このような集まりに参画する意義は大きい。自宅から100km以内にあればラッキーと考えて良い。50km以内なら行かない方が損である。実際、ひとつのレイアウトには半径200kmくらいから人が集まってくる。それだけの価値があるからだ。どこにあるかわからなければ、名のあるクラブに問い合わせれば教えてくれるだろう。こうしてホームレイアウトが決まり、経験者との交流が始まれば、後は何も言うことはない。ライブスチームには、個人の予算、技量、時間的余裕に応じた無限の選択肢があることが、すぐに理解できるであろう。そして、くめども尽きぬ泉ともいえる、究極の世界に突入することになるのだ!
 最後に一言、金銭感覚のマヒにだけは、くれぐれも注意してください・・・
(2003.7.3)


現物合わせ


 私は機械設計の専門家ではないが、製造業に勤めているので多くの製造装置を見てきた。昔の装置は組み立て調整で精度を出すものが多かった。ネジ穴はネジサイズより0.5mmくらい大きく、長穴の箇所も多く、組み立ての段階で個々の部品の位置決めをするようになっていた。組み立てには時間と熟練を要し、治具なども必要であった。部品が消耗して交換する場合は毎回この調整が必要で、これまた時間を要した。ネジが緩んだりしたら即、部品の位置がずれ、装置が動かなくなった。
 しかし最近では部品の加工精度が上がったためか、部品の位置決めは勘合、ピンなどでやるようになり、ネジは単に部品を固定するために使われるようになった。組み立ては簡単で時間も掛からず、メンテナンスも容易である。その反面、わずかな蓄積誤差で位置が決まらず、動作不良を起こすこともあった。また、熱や衝撃でいったん部品が変形すると、部品を作り直さない限り動かないということもあった。最終的には、ここぞという箇所に調整しろを残し、その他の部分は勘合で位置決めする例が多いようである。
 ではライブスチームはどうか。蒸気機関車は個々の部品が独立しておらず、全体でひとつの機関を形成しているので、どんなに加工精度を上げても蓄積誤差は大きくなる。となると、組み立て調整で精度を出すしかないかというと、「自作」に限っては現物合わせという手段がある。たとえばサイドロッドの軸距は動輪軸距から取るし、シリンダーやモーションプレートの取り付け位置も現物合わせで決める。エキセントリックロッドの長さなどバルブギア調整後に現物合わせで決めるのが常識になっている。ようするに、先に作った部品の誤差に応じて、後から作る部品の形状を加減するのである。これに対し100%加工済みキットでは、組み立てる前に全ての部品を提供しないといけなので、蓄積誤差は組み立て調整で回避するしかない。手工具だけで組めるといっても調整が必要であり、熟練を要するので、同じキットでも組む人によって走行性能に差が出たりする。半加工済みの頒布式キットの場合は、これよりも自作の色合いが濃くなり、現物合わせを多用することになる。
 現物合わせでは、位置さえ決めてしまえば調整の必要はないので、ネジ穴などジャストの径にすれば良く、さらに位置決めピンなどを使えば、何度組み立てても精度は維持されることになる。これは大きなメリットだがその反面、現物合わせで作った部品を破損してしまった場合は、設計図どおりに作り直してもだめで、破損した部品から寸法を取るか、その周辺部品から穴位置を移し開けるなどの工夫が必要になる。しかも、どこの寸法をどこから取るべきかは、作った本人にしかわからないのだ。ライブの工作は、通常の工業製品ではまず受け入れられない特殊な世界といっても良いだろう。
(2003.7.3)


英国流エレガント運転法


 WILLIAMのハンドポンプは、オリジナルではサイドタンク内に設置されている。しかしこれだと運転台に座ったまま操作できないので、私はキャブ内に置くように設計変更した。なぜオリジナルはそのような不便な設計になっているのか? ハンドポンプは英国ではエマージェンシーポンプとも呼ばれる。すなわち、他の給水装置のトラブルあるいは操作ミスによる水面低下時に、緊急停止して使用すべきものであり、ふだんの運転で常用するものではないのだ。なぜかというと、実物の蒸気機関車にハンドポンプなどは付いておらず、それは本物の雰囲気をぶちこわす存在だからである。せいぜい許されて軸動ポンプ、理想的にはインジェクターあるいはドンキーポンプのみで給水するのが望ましい、というわけである。
 英国のライブスチーム運転に対するアプローチは、実にエレガントというかマニアックというか、一本松の営業で鍛えられた私の感覚とは、趣を異にするものである。英国機は、バックプレートのバルブ類まできっちりスケールどおりに作られているものが多く、太い英国人の指でよく操作できるものだと感心する。趣味のこだわりを満足させるためなら、多少の不便さは受け入れるということだろう。そして運転操作は決してお客さんへの労働奉仕ではなく、逆にお客から羨望のまなざしで見られるべき「演技」でなければならない。以前、福知山ライブイベントに参加した折に英国人の運転ぶりを拝見したが、彼らはスラックスにセーターといういでたちで、素手で運転をしていた。ハンケチを片手に、指先の汚れを気にしながら豆粒のような石炭を扱い、バルブも指先でチョコチョコと、実に上品に操作していた。作業着姿で顔をまっ黒にして、焚口にぎりぎり入る大粒の石炭をぐいぐい詰め込みながら運転をしている日本人とは、実に対称的であった。英国のライブ参考書などを見ると、スーツ姿で運転している人も見かける。日本で運転会に背広を着て参加したりすれば、変人扱いされるのがオチだろう。ではアメリカはどうかというと、オーバーオールでススにまみれて運転している例が多く、どちらかというと日本のスタイルに近い。日本のライブスチームは、こと運転に関しては、英国よりアメリカの影響を強く受けていることがうかがい知れる。
 日本の蒸気機関車の機関士、機関助士は、確かに英雄であったけれども、その業務は今や死語となりつつある3K(きつい、きたない、危険)の代名詞のようなものであった。そしてライブスチームの運転は、この男臭い荒仕事をあえて再現するという使命をおびており、ススで顔がまっ黒になるなどあたりまえのことなのだ。アメリカにおいても似たような状況であり、もともとダイナミックを良しとする国民性もあって、日本と近いアプローチなのだと思われる。
 このように、ライブスチームの運転流儀にもそれぞれのお国柄が見て取れるのだ。それは蒸気機関車そのもののデザインと同様、英国ではあくまで流麗でエレガントに、アメリカではダイナミックに、そして日本では滅私奉公の精神で?運転されるのである。
(2003.3.11)


役に立つかどうかわからないヒント集


(1) 小さいライブスチームで大勢のお客を引く場合など、出発抵抗の克服がまず問題となる。動き出してしまえば抵抗は減るので、発車できない時は、わからないように足でこぎ出せば良い。どうするかというと、両足を地面に着けたまま加減弁を開き、足でゆっくり地面を後ろに押してやるのだ。コロ付きのイスに座って腰で動かすのと同じ要領である。動き出せば何事もなかったように足を上げる。外から見てまず気付かれることはない。また、走行中に空転してしまった時には、キャブを手で押して体重を掛け、軸重を増やしてやると良い。ようするに、いざというときには人力に頼れば良いのである。

(2) 工作を始めると、キリのいいところまでやろうとして、ついつい無理をすることが多い。しかしあわてても良い結果は得られないし、寝不足は体に悪い。ここはいっそ「キリの悪いところでやめる」というのを信条とすべし。翌日、新しい工程を始めるより、途中から始める方がスムーズに始められる。そして調子が出てきたところで次の工程に進む、これが良い。ただし、キリの悪いところで何日も休むと、何をやろうとしていたのか忘れてしまうので要注意。一晩寝ると全て忘れてしまうという人は、メモくらいは残しておいた方が良い(私もこの傾向あり)。

(3) 教則本などを見ると、正統的な工法が示されているが、著者自身がそれにちゃんと従っているという保証はない。人にものを教えるときも同じで、自分は普段やらないのに、初心者にはきっちりしたやり方を仕込もうとする。しかしこれはある意味、妥当である。100%いいつけを守る人間はいない。すきあらば楽をしようとするのが人間の常なので、自分がやっているそのままを教えると、教わった方はそれをさらに簡略化し、代を重ねるごとに人間はどんどん堕落していく。これを防ぐため、自分がやらないような面倒なやり方を、これが当然という顔をして教えるのが良い。おっと、これは言ってはいけないことだったかな。

(4) 同じ部品を複数作るとき、最初の1個というのは失敗しやすい。それ以後はその経験を生かして改善するのだが、1個めは作り直すほどではないがあまり良くないという結果になる場合が多い。さて、私が部品への刻印をする際は、進行方向左側を奇数、右側を偶数として、前から順番に刻印している。そして加工もこの順番でやっている。ずっとこのやり方で工作してきてはたと気が付くと、進行方向左側に出来の悪い部品が集中しているではないか。出来の悪さを前提として考えるのも何だが、たまには右側から作り始めた方がいいかもしれない。

(5) 旋盤の設置場所に迷った場合は、左側に窓のある場所に置けば良い。ごくまれに大変細長い部品を旋削することがあり、その時は加工物を主軸に通して左に突き出すことになる。しかし左に家具や壁があるとこれが制限となってチャックできなくなるのだ。左が窓であれば、窓を開けてその外に加工物を突き出すことができる。ただし通行人の安全は充分に確保しなければならない。同じ理由で、万力の設置場所も窓際が良い。長い材料を、窓から突きだして切るためである。以前の狭い工作室で定尺材料を切るときは、先端が廊下を横切って、向かいの台所に侵入した状態で切っていた。

(6) ライブスチームの工作に失敗はつきものである。何百何千という工数をたったひとりで、マニュアル操作でやっているのだから、失敗するのが当たり前である。車で走っていて赤信号に当たるようなものである。経験を積むと失敗の確率は減ってくるが、無くなることはない。そして、失敗してもあまり落胆しなくなる。もう慣れっこなのだ。失敗した次の瞬間には、いかにリカバーするかで頭がフル回転する。「そら来た、さて、どうするかな」といった感じである。だから、失敗しても気にする必要はない。すぐに慣れるから・・・

(7) 普段買う本は1回読んだら本棚にしまわれてしまうが、ライブの参考書は何度も読み返すことになるので、高価でも利用価値は高い。国語事典か「ライブスチーム」かというくらいである。それゆえ本も傷んでくる。油で汚れた手で取り扱うので、なおさらである。きれいな状態で保管しようと思えば二冊買うしかなく、不経済である。ここはひとつ価値観を変えて、本というものは、使い込まれて装丁がくずれ、手垢で汚れた状態こそ理想であると考えるのが良い。学生の頃、わざと辞書をクシャクシャにして使い込まれた状態にしていた、あれと同じである。つまり、きれいな本に価値を見出すのではなく、本を使い込んだ自分自身に価値を見出すのだ。

・・・ だんだん、役に立たないヒントになってきたので、このへんでやめにしておく。
(2003.2.7)


琴電について


 私の実家は琴電沿線にある。琴電(コトデン)とは「高松琴平電気鉄道」の略で、香川県に走っている私鉄電車のことである。全国各地からの払い下げ車輌を主力としていて、大正時代の車輌が今でも走っていることで有名な鉄道である。したがって、古い、遅い、狭い、揺れる、混んでいる、といった具合で、良いことは何もない(琴電の朝のラッシュは殺人的で、乗客の圧力で扉のガラスが割れるくらいであった)。子供の頃、仲間うちでは琴電は卑下の対象だった。「走る博物館」と言われて、全国からマニアが写真を撮りに来るという話を聞いて、皆で大笑いしたものだった。地域住民にしてみれば、他に選択肢はないのだから、珍しくもなんともない。学校に行くためには、街に出るためには、イヤでも乗らなければならなかった。何十年も乗っている人は愛着もあったろうが、子供にとっては何の魅力もない。私自身、鉄道は好きだったが、琴電を趣味の対象とするなど考えられなかった。どうせ俺たちゃ田舎者、田舎だからこんな電車しか走ってない。普段から高性能電車に乗っている都会者が珍しがって古い電車を見に来る、我々にとってそういう連中は「冬の八甲田、雪中行軍体験ツアー」と変わるところはなかったのだ。
 琴電は標準軌であり、国鉄より軌間が広い。子供の頃は、またげるのが国鉄、またげないのが琴電と区別していたが、同時に、軌間に関して大きな誤解をしていた。すなわち、国鉄は車輌が良いので線路の幅をせまくできる。その方がスピードが出るし、揺れも少なく乗り心地も良い。琴電は車輌がボロだから線路の幅を拡げないと安定しない。自転車と三輪車の違いと同様である、と確信していた。さらにもうひとつ、電車より気動車の方が優れている、という誤解である。四国の国鉄はずっと非電化で、まさに気動車王国だったわけだが、琴電よりスピードが速くて車体も大きい。琴電が電車にできるくらいだから国鉄だって電車にしても良いのだが、よりパワーを求めて気動車を採用しているのだと思っていた。模型でもエンジン模型の方がパワーがあるではないか。本州は電車が主力であることは知っていたが、扱いやすいので電車にしているだけで、性能はディーゼルの方が上だと思っていた。子供なりの結論というやつで、それもこれも琴電をリファレンスとしたためである。
 琴電、特に琴平線は直線区間が多い。実家の近くでいえば、栗林公園〜三条〜太田〜仏生山の四駅間、ずっと直線が続く。平野の広い香川県で、人家もまばらな時代に建設されたためと思われるが、琴電がカーブを曲がるのは、ポイントを渡るとき以外は、よほどのやんごとなき事情があってのことなのだ。そのひとつが、高松築港を出た直後のクランク状の急カーブである。市電のような急曲線で、二回連続して直角に曲がる。特に琴平線を片原町側から乗るとおもしろい。まず左カーブの内側線を曲がる。ただでさえ遅いのにさらに減速し、車輪をキイキイ鳴らしながら辛うじて通過する。直線に戻るとすぐに、両渡り線を左から右に渡る。脱線するのではないかというほど激しく振動し、車体が左右に揺れて、吊り革が網棚に当たってカチャカチャと音をたてる。そして今度は右カーブの内側線。またもや車輪は激しくきしみ、直線に戻るとそこが築港駅である。琴電の車輌にとって最大の難所?なんだろうな。
 琴電を馬鹿にしていた私も高校を卒業して郷里を離れ、以後は全国各地を転々として現在に至っている。帰省のおり、たまに琴電に乗る機会があるが、そんなとき私はとても安らかな気持ちになる。何も変わっていない。昔のままなのだ。実家の周辺ですら、新たにマンションが建ち並び、道路は整備されて大きく様変わりしているというのに、琴電だけは何も変わらない。かつてあこがれていた国鉄高松駅は大きく姿を変えた。JRになって塗色は変わり、気動車は少数派となり、連絡船の桟橋もなくなり、もはや昔の面影を見いだすことはできない。しかし琴電だけは、車輌はもちろんのこと、駅舎も、改築した瓦町駅を除けばほとんど変わっていない。ホームに掛かっている広告看板さえ、30年前と全く同じなのだ。
 時代の変遷とともに環境が変化するのは当然のことで、それを否定することは無意味である。しかし人生四十年を越え、体力の衰えを自覚し始めると、自分自身がやがて滅びゆく古い存在になりつつあることに気づかされる。そんなとき、人は昔の情景を追い求める。それはほとんどの場合、叶えられることはないのだが、琴電だけは別である。幼少の頃、家族で街に出かけたときと全く変わらない情景がそこにある。今となっては、そんな琴電に感謝せずにはいられない。郷里から昔の鉄道が姿を消し、遠路はるばる香川県まで電車を見に来なければならない人達が、逆に気の毒に思えるくらいである。これからも琴電は変わらないでいてほしい。そう願わずにはいられない。
 などと言えるのも、私が郷里を離れて年を取ったからである。香川に住んでいる子供たちは、今でも琴電を馬鹿にしているんだろうな・・・
(2003.1.28)


きかんしゃやえもん


 子供ができて、書店などの幼児コーナーによく立ち寄るようになったが、驚かされたのは、数十年前の絵本、童謡などが現在も堂々と流通していることである。自動車の絵本を手に取ると、そこに描かれているのは昭和40年代のなつかしい車種ばかり。こんなもの今はどこにも走っていない。幼児用CDに入っている曲のほとんどは、私が子供の頃に聞かされた曲ばかりである。
「ビュワーン、ビュワーンはーしーるー、青いひかりの超特急ー、時速250キロー」
おいおい、今は300キロの時代だぞ! 子供だと思っていい加減にあしらってるんじゃないか?
 話は変わるが、私が子供の頃の汽車の絵本といえば「きかんしゃやえもん」だった。古い機関車「やえもん」がスクラップになりかけのところを子供達に救われて交通博物館に展示されるというストーリーだが、改めて調べると、阿川弘之作という由緒正しい?絵本であり、初版は1959年らしい。今はとっくに消滅していると思ったら、これまた驚いたことに現在でも初版と変わらない状態で売られていたのだ。こうして数十年ぶりに再会できたのだが、「やえもん」の外観があまりにみすぼらしいのでがっかりしてしまった。トーマスのカラフルな色に対して、やえもんの車体は黒ですらなく、ラクダ色ではないか。煙室戸に顔があるのはトーマスと同じだが、こちらは田舎くさいお爺さんの顔である。交通博物館の1号機(新橋−横浜間を走った丘蒸気)がモデルらしいが、似ても似つかない。
 やえもんがベストセラーになったので今度は交通博物館が1号機を「やえもん」と命名したらしいが、さすがにラクダ色には塗らなかった。しかし、やえもんを見に交通博物館に来た子供は、磨き込まれたボディーを見て逆にがっかりするんじゃないか? 私の血を引く息子は、こましゃくれるに決まっているので、これはやえもんじゃないと言い張るに違いない。いっそ私が阿川弘之の文だけいただいて絵本を書くか。1号機にそっくりにである。そしてそれをわが子に与えるのだ。
「お父ちゃん、うちの絵本のやえもんは○○ちゃんの絵本のやえもんと違うよ」
「うちのやえもんがホンモノ、○○ちゃんのやえもんはニセモノだ。ほら、ここに交通博物館のやえもんの写真がある。よーく見てごらん。うちの絵本のやえもんと同じだろう?」
「わー本当だ、うちのやえもんがホンモノなんだ」
(本当は交通博物館のやえもんがニセモノなのである)
「こんど、交通博物館に連れていって本当の本物を見せてあげるからね」
「わーい、楽しみだな!」
「ディズニーランドの帰りにね(妻)」
アホな空想をする暇があったら、次の工作の段取りを考えないと・・・
(2002.12.15)


自作の資産的価値


 遅ればせながら、OSのパーツカタログを取り寄せた。代表的機種のシリンダー、ボイラーなどのパーツ類が、かなり細かいものまで分売されていた。スペックから察するに私のWILLIAMは、3インチ半のポーターとほぼ互角ということになる。カタログには価格表が同封されており、ポーターのボイラーの価格は・・・・11万円? そ、そ、そんなに安いのか!
 私はWILLIAMのボイラーに1年余、それこそ全身全霊で立ち向かって、最後には壮絶なもぐら叩きを演じ、ほうほうの体でやっと完成にまでこぎつけたのだ。当時の記事を読むと、今でも悪夢がよみがえる。要した時間だけでも数百時間。その間、眠れぬ夜を何度過ごしたことか。いつだったか、ボイラーを紙袋に入れて、運転会の宿泊先に向かうフェリーに乗ったとき、もし誤ってボイラーを海に落としてしまったらダイバーを雇ってでも探し出すしかないだろうなどと考えていたそのボイラーである。百万で売ってくれと言われても売れるものではない。それなのに、自作よりはるかに信頼のおけるメーカー品、それも一流ブランドとして世界的に名の知れているOSのボイラーがたったの11万円で手に入るとは! これに比べて私のボイラーなど、どこの馬の骨が作ったとも知れないうさん臭い圧力容器に過ぎない。その資産的価値は、高く見積もってもせいぜいOSの半値以下、ことによると材料代すら回収できないだろう。
 この差額を一体どこで埋めれば良いのだ。それは、実践で得られたボイラー製作のノウハウ、あるいは製作の過程をインターネット上で公開し、運転会に持参することによる人脈形成としての価値、そして「自作」という行為そのものから得られる精神的充足感、と、ここまで考えて、私は当然といえば当然の事実に気づかされる・・・・ライブ自作は「趣味」なのだ。趣味とは実益を伴わないものであり、その結果に資産的価値を求めること自体、間違っていたのだ。
 キットを買う金がないから自作を始めたのは事実である。しかしそれは単なる言いわけだった。自作をするならば、ライブスチームを所有することと同じくらい、いやそれ以上に、ライブスチームの製作そのものを目的としなければならない。実をいうと、それに気づいたのは最近のことではない。3年間工作を続けた私の「目的」は、知らずしらずのうちに変貌を遂げていた。ポーターのボイラーの値段は、確かにおもしろくない情報ではあるが、それによってやる気をそがれることはないし、私の中でのWILLIAMのボイラーの価値に、みじんの陰りも与えるものではない。
 話は飛ぶが、かの有名な丹波哲朗の映画「大霊界」の中で、死後の世界では、頭の中で望んだことが即座に実現されるというくだりがあった。しかし私はそんな世界には絶対に行きたくはない。もし頭の中で想像したとおりのライブスチームが即座に出現するとすれば、それは苦労の末に完成させたときの、えもいえぬ充足感を決して味わえないことを意味する。自作派にとって、自作の苦労を奪われるほどの不幸はないのである。
(2002.12.2)


模型と本物との違い


 蒸気機関車の性能という点に関して、実物と1/10の模型とを比較してみたい。1/10スケールの模型における体積は1/1000になる。重量も、シリンダー容量も、ボイラー容量も、燃やせる石炭も、発生する蒸気の体積も1/1000であり、生み出すエネルギーも1/1000になる。一方、これがスケール速度で走った場合の運動エネルギー(質量×速度×速度÷2)は、重量が1/1000で速度が1/10なので、1/100000、そして慣性すなわち運動量(質量×速度)は、1/10000になる。摩擦に関しては、速度にはほとんど依存せず荷重に依存するので1/1000のままとなる。以上より、ライブスチームを実物と比べた場合、発進加速には余裕があり、そして慣性力に対する摩擦力が異常に大きいことになる。ビックリ発進と速度ムラ、そしてまたたくまに巡行速度に達する加速力はこういうことに起因している。さらにライブにおいて支配的な摩擦力が速度に依存しないものであるなら、消費されるエネルギーは走った距離ではなく走った時間で決まることになる。従って、レイアウトを6km/hで1周したときに消費されるエネルギーは、3km/hで走ったときの半分程度になる。ライブの運転において、低速より高速の方が運転しやすいと感じるのはこのためである。
 では摩擦による発熱はどうか。単位時間の発熱量は、摩擦力×移動距離÷時間すなわち摩擦力×移動速度で決まるので、1/10000である。これに対する放熱量は、伝熱面積に比例するので、1/100となる。したがってライブスチームにおいては軸受けの加熱は無視することができる。メタル焼けなどは当然起こり得ない。続いて、動輪回転数の限界について考える。実物の動輪の回転数は300rpm程度が限界とされているが、これは回転する動輪そのものが原因なのではなく、それに付随するピストンやロッドの往復運動による運動量の急激な変化に、機関が耐えられなくなることが原因である。ライブでは運動量の変化は1/10000、機関の強度は1/1000でありこれも実物よりはるかに余裕がある。ライブスチームのシリンダーを圧搾空気で回すと、レシプロエンジンほどの回転数で回るのはこのためである。
 以上のような実物とライブの違いは、「外観のスケールダウンに応じて、速度までスケールダウンしてしまった」ことによる。回転数が同じなので同じ条件と思われがちだが、軸と軸受けの相対速度は回転数×直径で決まるのである。ライブを実物と同じ条件で運転しようとすれば、実物と同じ速度で運転しなければならない。逆に言えば、スケール速度で運転する限り、ライブスチームは走ってあたりまえの機械ということになる。
 ただしボイラーに関しては少し事情が違ってくる。先に述べたとおり熱伝導は伝熱面積に比例するので、ボイラーが小さければ小さいほど熱伝導は大きくなる。そのためライブでは実物のように無数の煙管を設けて伝熱面積をかせぐ必要はなく、太い煙管3本だけでも充分な性能を発揮できるのだ。むしろ問題は熱損失で、ボイラーで発生した熱のかなりの部分が、ボイラー表面から大気中に逃げてしまうことになる。ライブスチームでも実物にならってボイラーにラギングが施されるが、せいぜい3ミリ程度の石綿シートでは、断熱効果はほとんど期待できないだろう(熱伝導は層厚さに反比例する)。あのサイズの銅管をまともに断熱しようと思えば、直径が2倍にふくれ上がるほどのラギングが必要であり、それではスケールオーバーになってしまう。かといってボイラー径そのものを小さくしたのでは、ますます熱損失の比率が増えて逆効果である。
 ライブを走らせるためのエネルギーは、スケールから計算した値よりずっと小さいものだが、ボイラーがこのように悪条件下にあるので、スケールどおりのボイラーでほぼつりあいが取れるのだろう。結論として、渡辺精一氏の以下の一節を引用しておきたい。「少しも外観を損なうこと無く実物の機関車を縮尺した大きさで作っても、満足できる機能を持たせることができる事実は、我々ライブスチーム模型機関車愛好家にとって、この上もない幸せであった」
(2002.12.2)


飛行機について


 九州に住んでいて困るのは、東京出張に飛行機で行かなければならないことである。私はどうも飛行機というのが苦手だ。せまい機内にぎっしり詰め込まれ、圧迫感は満席の新幹線よりひどい。離陸と着陸の緊張感が不快である。仕事で疲れているのだからスリルなど味わいたくはない。さらに、タキシングから離陸するまでの時間と、高度を下げ始めてから着陸するまでの時間が長く、これでは蛇の生殺しである。「最終着陸態勢」などと言われるとますますこわい。巡航時も、全く揺れないと思ったら急に激しく揺れ出す。揺れが一定してないので落ち着かない。とにかく離陸から着陸まで気の休まる時がないのだ。
 かくいう私も飛行機に凝った時期があった。まずラジコンに始まり、PCでフライトシミュレータをやり、最終的にはウルトラライトプレーン(一人乗り軽飛行機)までやろうとした。やろうとしたが、結局あきらめた。理由は、命が惜しかったからである。運動神経に自信がなかったし、極度に緊張すると判断を誤りやすいという自分の欠点をよく承知していたからだ。そして、それをあきらめる代わりにNゲージのレイアウトを始めた。すなわち鉄道模型の再開は、飛行機との比較の上で決まったことであり、もしあそこでライトプレーンを選択していれば、ライブスチームを始めることも無かったし、今ごろは空高く飛んでいたか、そのまま昇天していたかであろう。
 こうしていったんあきらめてしまうと、飛行の原理や着陸の難しさを知っているだけに、逆に飛行機に乗るのが苦痛になってきた。人間が作ったものに100%の信頼性など期待できないし、二重、三重の安全策が取られていたとしても、確率が減るだけで落ちるときは落ちるのである。そしてそれが今日このフライトで起こらないという保証がどこにあるというのだ。車でも電車でも事故は起こるが、少なくとも止まれば救われる。止まって落ちるのは飛行機だけである。だいたい、箱に詰め込まれて空を飛んでいる状態で恐怖を感じない方がおかしい。現代文明に侵されて防衛本能が麻痺しているとしか思えない。飛行機に乗る機会が増えてこんなことばかり考えるようになり、ますます飛行機が苦手になった。もちろんウルトラライトプレーンなど論外である。
 新幹線で東京に向かえば、少なくとも1時間はよけいに時間がかかる。いつもぎりぎりまで残業をしてから出るので、それではその日のうちに目的地にたどりつけなくなってしまう。そもそも今の世の中で飛行機に乗れない人間などサラリーマン失格である。だから私はがまんして飛行機に乗る。乗っている時間の半分以上は手に汗をかいている。そして無事に着陸してタキシングに移ったときには、まるで長時間排泄をがまんしたのちに用を足した時のような解放感に包まれる。そして福岡空港から博多に出て、お気に入りの特急ソニックの車内でビールを飲みながら自宅に向かう時間は、出張の疲れとフライトの疲れがいやされる瞬間である。
 こうして無事に帰宅すると、PCの前に座って操縦桿をにぎり、さきほどのフライトを再現したりする。われながら勝手な話であきれかえってしまうが、私は飛行機に乗るのが嫌いなだけであり、飛行機そのものが嫌いなわけではない。絶対落ちることのない100%安全なフライトは大歓迎なのだ。
(2002.7.9)


失敗


 工数の多い部品を作っていると、必ずどこかで失敗する。不注意から来るミス、段取りの配慮不足、そして無知から来る誤りなど、失敗を招く要因は無数にあり、よほどの熟練者でない限り失敗は避けられないだろう。最初はまじめに作り直していたが、だんだんズボラになって設計変更でごまかすようになった。心にしこりは残るが、いちいち作り直していたのでは前に進めず、ついに嫌になって工作を放棄してしまうだろう。最近、完全主義者にはライブ自作は無理だと思うようになった。
(2002.7.9)


工作機械は重量で選ぶ



 140kgの卓上フライス盤を導入した。詳細は別途報告するが、今まで使っていたミニフライス盤が15kgなので、約10倍の重量ということになる。フライス盤を持っていながらまたフライス盤を買うとはぜいたくなと思われそうだが、実際に使ってみて、なぜもっと早く導入しなかったかと悔やんだ。
 ミニフライス盤やミニ旋盤で5インチライブスチームを作れるか? やってやれないことはないが、やってられない=やらない=不可能という公式が成り立つ。切り込みはせいぜい0.2mmが限界で、ビビリを防ぐには回転数も最低で、ゆっくり送るしかない。たとえば、真鍮のブロックを深さ1cm、長さ10cm削ろうとすれば、切削時間は数時間に及び、その間、ひたすら忍の一字でダイヤルをまわしつづけることになる。刃物は削った量よりも使った時間で磨耗するので、この時点で数千円のエンドミルはすでに切れ味が落ちているだろう。さらに切削幅が大きくなると、どんなに回転数を落としても刃先が逃げるので、精度は出ないし仕上げも汚い。これでは何のためにフライス盤を使っているのかわからない。結局、仕上げしろ1mm以内までドリルとノコギリとヤスリで加工し、最後の最後だけフライスを使うことになる。私は実際にそうやってきたが、その方がずっと効率が良いのだ。
 フライス盤さえあれば無垢の金属を好きな形に削れると思ったら大まちがいである。それは工場用の大型フライスに限る話と思った方が良い。140kgのフライス盤でも非力なのだが、ミニフライス盤と比べるとずっとましである。仕上げしろ5mmくらいはすぐ削ってくれるし、切り込み0.5mmでも安定している。φ10のエンドミルもストレスなく使えるし、送り速度も上げることができ、仕上げもきれいである。実際に体験すると、ミニフライス盤とは世界が違うという感じであった。ようするに工作機械のパフォーマンスを決めるのは剛性の高さであり、どんなに精度が高くても、工作物に負けてしまっては意味がないのだ。モーターのパワーや振りの大きさだけを売り物にした軽量マシンもいただけない。旋盤でもフライス盤でも、切削力は主軸からテーブルに至るコの字の構造を通って伝達されるので、ここが華奢では話にならない。
 アマチュア用として30kg未満のフライス盤がよく出ているが、1番ゲージがやっとこさと思ったほうが良い。おおざっぱに言って、作る機関車の3倍の重量があればストレスなく工作できるだろう。30kgの3インチ半であれば90kg、100kgの5インチであれば300kgといったところである。5倍は必要という人もいる。だから多少の無理をしてでも、なるだけ大きな機械を入れたほうが良いのだ。さもないと私のように、フライス盤を2台も買うはめになりますよ!
(2002.6.20)


転勤族


 私は大多数の日本のサラリーマンと同様、転勤族である。会社では、身ひとつで全世界をまたにかけて飛びまわれる人材こそ優秀なビジネスマンと見られるようだが、これは私生活を犠牲にすることが前提である。特にライブスチームの世界では、 どんな形にせよ、身ひとつということはあり得ない。まして自作派となると、自分の体重の10倍もあろうかという機材をしょい込んで移動しなければならない。工作室を準備することは、パソコンをセットアップするのとはわけが違う。 床、壁の養生から始まって、重量物の搬入と据え付け、必要とあれば電源工事もしないといけない。数年のサイクルで住居を転々とする人にはとてもできることではない。単身赴任などになろうものなら、工作は断念せざるを得ないだろう。早い話、転勤こそはライブスチームの大敵なのだ。転勤族が多いことが、日本でライブスチームが根づかない一因ではないかと思う。そしてついに、私のもとにも辞令が回ってきた・・・
 行き先は九州である。幸いにして単身赴任はまぬがれそうなので、またマンションを見つけて工作室を作り直すことになる。問題は110kgの旋盤の移動であり、さらに定尺で購入した材料のたぐいは総重量で軽く100kgを越えている。その他にもガスボンベ、耐火レンガの山、そして同好会でまとめ買いしたウェルズ炭100kgなどがあり、頭の痛い問題が山積みである。工作室がせまいので梱包した箱を置く場所もない。準備期間を含めて2ヶ月程度は工作を中断せざるを得ないだろう。そして何より、日本でも屈指の一本松レイアウトから遠く離れてしまうのはしのびがたいものがある。しかし九州には西日本ライブスチーム倶楽部があり、顔見知りも何人かおられるので、転勤先としては恵まれているかもしれない。
 これを書いている時点で、工作は中止して旋盤の分解に掛かっている。すべてが無事終わったら「ライブ奮戦記」で報告したいと思う。
(2002.1.27)


Thomas the Tank Engine


 この表題は「きかんしゃトーマス」の原題である。たかが幼児向けキャラを「タンク機関車」とカテゴライズしてしまうところに、英国人のSLに対するこだわりが感じられる。「エンジン」というのは英語ではlocomotiveすなわち「機関車」と同義語である。英語のメールで "your engine" などと書かれて、最初はシリンダーのことと勘違いしてとまどったものだ。TVのトーマスはメルクリンの1番ゲージがベースらしいが、英国にはトーマスに似せた本物のSLもある。原型より模型の方が大きい場合もあるという例である。
 私が最初にトーマスを見たのは、鉄道模型を再開してすぐの頃だったと思う。第一印象は「キモチワルイ」であった。西洋のこの手のキャラクターは、日本人の感覚からすると受け入れがたいものが多いが、トーマスは群を抜いていた。よりによって蒸気機関車という時代遅れの機械を擬人化してしまうとは、しかも古めかしいムーンフェイスで眼だけがグリグリ動くのだから、シュールとしか言いようがない。おまけに顔色まで悪いときている。自分は鉄道ファンなので応援したいところだが、こんなキャラが日本の子供に受け入れらるはずがない、と思っていた。ところが予想に反して人気急上昇、デパートのオモチャ売り場にはトーマスものが並び、街角でビデオも放映され、弁当箱のフタにまで印刷されるようになった。今ではブームはやや下火になったものの、アンパンマンなどと並んで、幼児向けキャラの定番の座を獲得してしまった。日本では見慣れないキャラというところがかえって子供の好奇心をそそったのかも知れない。見慣れるとそれなりに可愛くも見えてくる。
 さて、親バカSLファンの私が、これをわが子に与えないはずがない。さっそくプラレールのトーマスを買ってきて、エンドレスを組んで運転してみせた。しかし1歳になる息子は、プラレールを見ても鉄道とは理解できず、たちまち襲いかかって線路をずたずたに分解してしまった。これでは運転どころではない。何度やっても同じで、トーマスは早々にお蔵入りになってしまった。プラレールの対象年齢は3歳以上なので無理もない(対象年齢未満のお子様に与えるのは危険なのでやめましょう)。
 ある日、トーマスのビデオを息子に見せていたら、最初は神妙な顔つきで見ていたが、いきなり泣き出してしまった。やっぱりキモチワルかったのか。次の日にまた見せても同じ。見ているうちにだんだん半ベソになってきて、最後に機関車が大挙して登場するところで大泣きしてしまう。TVを見て泣き出すなどというのはこれが初めてだ。うーむ、あらためて冷静に見ると、確かにこれほど怖い映像はないかもしれない。可愛いことなどあるものか。あやうくだまされるところだった。うちの子は鋭い感性で本質を見抜いたのだ(単なる神経質という声もある)。妻が、トーマスを怖がるようではディズニーランドに連れて行けないと言いだした。行けない行けない。それは良いのだが、子供がSL嫌いになったのでは困る。とりあえず運転会のビデオでも見せて、なだめておくことにしよう。こちらはなぜが大のお気に入りで、泣いていても泣きやむくらいだ。さすがは私の息子、本物志向である(何度も見せるので癖になっているだけとも言われる)。親バカ奮戦記もまだまだ続く…
(2001.11.20)


吹鳴会


 楽器をかじっていたこともあり、汽笛に関してはこだわりがある。復活C62 3の汽笛を聞くと、ドミソに短7度と9度を入れたG#9という和音になっているようである。実物図面から管寸法を出していろいろ計算すると、開口端補正18mm、音速400m/sでほぼ計算どおりになった(第三音だけ合わなかったが)。実物の汽笛の吹鳴を聞くと、まずシューという蒸気音から始まって和音が鳴りはじめ、全体の音程がきれいに1度くらい上昇して最大音量となる。そして鳴りやむ瞬間に音程がやや下がる。これに対してライブスチームの汽笛には音程変化がほとんどなく、汽笛というより競泳のホイッスルといった感じになってしまうのが情けない。いくら汽笛を大きくしたところで、使える蒸気の量が全然違うのだから仕方がない。さて、汽笛についていろいろ調べているうちに、アメリカのサイトでとんでもないものを見つけた。その名もずばり、
http://steamwhistles.com/
それは蒸気機関車の汽笛だけを趣味の対象とする人のためのサイトであった。「ネット上で唯一の汽笛サイト」などとあり、そりゃそうでしょうよ。そこには汽笛の構造解説、入手方法、レストアの例などが詳しく紹介されている。単なる変人のひとりよがりサイトかと思いきや、ちゃんと同好会のようなものがあり、さらに"Horn & Whistle magazine"という雑誌まであるらしい。驚いたのは、運転会ならぬ吹鳴会?の紹介である。皆がご自慢の汽笛を持ち寄り、本物のSLから抜いたとおぼしきボイラーで蒸気を作り、自分の汽笛を鳴らして楽しむ会があるらしいのだ。ライブスチームよりはるかにマイナーな趣味がここにあった! さすがアメリカはフトコロが深い。
(2001.9.20)


参考書について


 渡辺精一著「ライブスチーム」が再版された。日本で唯一のライブスチーム参考書ともいえる本が入手可能となるのは喜ばしいことである。日本ではライブスチーム関係の資料の入手が困難だが、では英国人やアメリカ人は恵まれているかというとそれほどではない。はっきり言ってあちらの参考書には手抜きが多い。内容が断片的で欲しい情報が得られない。章や節の区切りをいい加減に決めているので、目的の記述になかなかたどりつけない。さらにイラストを書くのが面倒なのか、文章で全て表現しようとしているのでわかりづらい。名著といわれるMartin Evansの"The Model Steam Locomotive"も、写真やイラストは豊富だが文章と全くリンクしておらず、適当に図面をかき集めて適当に貼りつけたと知れる。「ライブスチーム」は全ての図面がきっちり文章で解説されており、書かれている情報量からいってもこちらの方が上である。
 一方の平岡幸三著「生きた蒸気機関車を作ろう」は、特定形式の製作解説書としては世界でも類を見ない素晴らしいものである。英国の参考書でこんなにわかりやすいものを見たことがない。平岡氏のシェイやハイスラーの製作記は英語版で出版されているが、当然ながら大変評判が良く、グレート・ヒラオカと絶賛されているらしい。
 日本のライブ参考書は確かに少数だが、ツブがそろっており、英国やアメリカに比べてひけを取るものではない。あと機械加工そのものの参考書として「ミニ旋盤を使いこなす本」があり、以上の3冊があれば、まず事足りる。さらに機械設計やボイラー関係の一般参考書も読んでおきたい。いずれにしろ洋書は必須ではない。もし外国から取り寄せるなら、参考書より設計図の方が良いだろう。自分が作ろうとしているものに似た形式を何種類か取り寄せ比較検討すれば、設計がより確実なものになるに違いない。実寸大の設計図は値が張るので、縮小コピーを掲載した本が欲しいところだが、前述の"The Model Steam Locomotive"は、設計図が豊富に載っているという点では役に立つ。
(2001.9.20)


表紙メニュー変更


 先日、見知らぬ人から、あちこち手を出さずに仕掛品を仕上げるべきだという有り難い?アドバイスのメールをいただいた。身に覚えがなかったので間違いメールかと思ったが、しばらく考えて、HOのことをいっているのだとわかった。HP開設当時はライブスチームはやってなかったので、HO仕掛品の紹介から始めたわけだが、初めて見る人は、いろいろ手を出して何一つ仕上がってないではないかと思ったことだろう(ライブも仕上がってないのだが・・・)。HOの工作を始めて1年余りで仕掛品の山を作り、それからライブスチームに転向して2年半、わき目もふらずにWILLIAMの製作に従事してきた。同好会の人はたいてい複数の機種を同時進行していて、しかも全てをちゃんと完成させている。しかし私がこれをやると仕掛品の山になるのがオチなので、あえて新機種には手を出さないようにしている。ライブは外観より機構がおもしろく、形式を選ばず楽しめるという点も影響しているだろう。なにより、多数の仲間と進捗を報告し合いながら進めるので、精神的に安定するのだ。
 さて問題はHOのページである。今でもときどきHOに関する意見や質問のメールをいただくが、このような状況なのでちゃんと対応することができない。今となってはHOを再開する予定もないし、それをさもやってますというふうにHPに掲載し続けるのは問題である。ということで、HO時代の記事は全てすみっこに追いやった次第である。
(2001.9.20)


C53とC51


 「ライブスチームに挑戦」の玉井氏と、いずれ作りたい国鉄型蒸機の話になり、二人ともC51でかち合ってしまい、それではC51の重連といきましょうということになった。
 私が最も好きな形式はC53で、次がC51である。C53を初めて見たのは小学生の頃、当然実物ではなく写真だったが、それまでC62こそ蒸気機関車の王者だと思っていた私は、一種の衝撃を受けた。前に長く伸びたデッキと、間隔の離れた動輪、横長のデフレクターなどにより、それはC62よりはるかに巨大に見えた。そしてスポーク動輪が実に古めかしく、まるで古い家で大きな仏壇を見たかのような威圧感を覚えた。その後、C53が三気筒という独特の機構を持っていることを知るに至り、私は今後このC53を愛好したいと決意したものである。
 それから幾年月、鉄道趣味を再開した私は改めて国鉄各形式をチェックしたが、C53よりむしろC51の方が、自分が抱いている古典蒸機のイメージに近いことがわかった。大正機らしい丸みをおびたデザインに、給水暖め器の複雑なパイピング、幾十にも折り重なった放熱管、そしてデフレクターが加わり、絶妙なバランスを醸し出している。特にパイピングは模型化するには魅力的で、模型界ではC51は結構人気がある。これに比べるとC53はデザインが直線的であっさりしていて、中途半端に近代的なのだ。しかし幼少から憧れていたという存在感は大きく、私の中でNo.1はやはりC53しかない。
 C53は東海道線、山陽線のみに生きた戦前のスターであり、古い鉄道ファンであればその存在に一目置く形式である。車輛称号改正前にC53の名で登場し、聞きなれない名前、斬新なスタイル、独特のブラスト音、五階調汽笛などにより、驚異の機関車として迎え入れられた。しかし軸重の重さと整備性の悪さが災いして、SLブームのはるか以前に姿を消してしまったため、今やマイナーな機関車になってしまった。昭和36年の45号機の復活運転(たった二日間)が、最後の花道であった。
 一方のC51(18900)も狭軌最強の蒸機をめざして設計され、狭軌では世界最大の動輪径(当時)を持ち、後に登場するC53とともに、戦前の国鉄急客機の双璧をなした。そして「超特急つばめ」が計画されたとき、C53を差し置いてその牽引機に指定される。つばめは画期的なプロジェクトで、ロングランをめざして水槽車を連結、走行中に補機を解放、そして機関士は走行中にテンダーをよじ登って交替するなど、命がけで実現された「超特急」なのだ。もっとも当時は、整備員を台枠内に乗車させて走行中に給油させるなどという無茶なことまでやっていたらしく、テンダーによじのぼる程度は驚くに値しないのであった。
 さてライブスチームでどちらを作るか。C53の3シリンダーは難しそうなので、まずはC51で小手調べと思ったわけたが、一生に何台も作れるものではなく、いちばん作りたいものを先に作るべきではないかとまた迷い始めている。
(2001.9.20)


英国型について


 蒸気機関車発祥の地はイギリスだが、日本では英国型の鉄道模型はあまり出まわっていない。私もアメリカ型はよく目にしたのだが、英国型のSLはほとんど見たことがなかった。これに対し、ライブスチームは英国の資料が多いせいか、日本製のものも含めて英国型が多い。
 英国機には独特の雰囲気がある。アメリカ型が迫力を、ドイツ型が機能美を売り物にするなら、英国型は優美さを売り物にしている感じである。カラフルでありながら品があり、中世ヨーロッパ的な味わいがある。国営化後にはさらに近代的センスも加わって、いっそう気品が増している。日本型は英国機の輸入から始まっているので、8620くらいまでは英国型に近かったが、しょせん真っ黒では雰囲気は出ない。さらに空制化やら何やらでゴテゴテとパーツをしょい込み、どちらかというとアメリカ型に近い武骨な姿になってしまった。イギリス人の目にはさぞかし醜いSLに映ることだろう。
 しかし日本型ファンにとっては、むきだしの機構こそが魅力なのだ。英国型は車輌限界の問題もあって、バルブギアはおろか主連棒すら隠している機種も多いが、ライブスチームでわざわざややこしい機構を再現しながら、それらを全てフレーム内に隠すとはもったいない話だと思ってしまう。さらに日本型ファンからすれば、黒い車体で黒い煙を吐いてこそ蒸気機関車であり、英国機のように良質の石炭だけ使って煙を吐かないSLなど、てんで迫力がないということになる。逆にイギリス人から見ると、日本の蒸機はゴミを燃やして走っているのではないかと思うらしいが。
 決して英国型を否定しているわけではない。英国型には英国型の良さがある。機構的にも間違いなく日本の蒸機より優れていると思うし、あの優美さには抗いがたい魅力がある。スターリング・シングルなど美の極致であり、死ぬまでにはぜひチャレンジしたい機種である。しかしライフワークは何にするかと問われると、これはもう5インチでC51かC53を作るしかないでしょう! そして煙管が詰まるのを覚悟の上で太平洋炭を焚き、黒煙をまき散らしながら走るのだ。
(2001.2.23)


マイナー趣味の楽しみ方


 ライブスチーム趣味は超マイナーである。それゆえ、同好の士とめぐり会った時は砂漠にオアシスを見つけたような感激を味わう。運転会などに行くと、オアシスが束になって待っていることになり、幸福の極致である。初対面でも旧知の友のごとく話がはずむ。あちこちで名刺交換の風景も見られる。名刺といっても仕事の名刺ではなく、ちゃんと趣味の名刺を作っているのである。私も遅ればせながらパソコンで名刺を作って配った。年賀状などは、一般用とライブ用とでデザインを分けて出している。
 これが一般の趣味であればどうだろうか。たとえばカラオケに行って、隣のボックスで歌っている人に親近感など持てない。スキー場でゲレンデに散在する他人は単なる邪魔者でしかない。バンドをやっていても、見知らぬバンドは皆ライバルである。どこの世界に、初対面の人の家に上がり込み、半日以上も話し込んだあげく、泊めてもらうなどということがあろうか。ライブスチームは超マイナーだが、超マイナーであるがゆえに味わえる楽しみというのもあるのだ。
(2001.2.23)


買い物がしたい


 注文したアスターのC56が家に届いたときは、そりゃあ嬉しかった。立派な化粧箱の中は、さらに小箱に区分けされ、中にはポリ袋入りの綺麗なパーツが詰まっており、組立説明書も立派だ。ボイラー、動輪、フレームなどの部品を手にとっては吟味し、また元どおりに箱におさめ、その日の夜は幸せな気分で床についたものである。
 しかしライブスチームの自作を始めて、こういう買い物の楽しみとは無縁になった。嬉しかったのはマイフォード旋盤を導入したときくらい、その後は材料や刃物ばかりで、ちっともおもしろくない。家に帰って玄関先に、業者が置いていった油まみれの鋼材がころがっていても、手に取る気にもなれない。汚い古新聞に包まれた鋳物セットなど、どう見てもガラクタであり、加工の大変さがうかがわれて、かえって気が滅入る。買い物しようと街まで出かけても、行く店がない。本屋に行っても、ライブ自作に役立つ本はほとんど見当たらない。雑誌にしてもこれだけ大量にありながら、ライブ関係は月刊トレインの数ページだけで、それすら置いてない店が多く、ライブスチームのマイナーさを思い知らされる。唯一のオアシスだった鉄道模型店も、ライブ部品など扱ってないので用がない。しかたないので、ライブ関係の洋雑誌、洋書などを注文してみる。本が届けば、少なくともS45C磨き丸鋼が届くよりは嬉しい。しかし英語なのでそう簡単に読めるものではなく、写真と図面だけ眺めた洋書が本棚に並ぶことになる。ああ買い物がしたい・・・いっそOSのキットでも買ってやろうか。いやいや今までの投資を考えると、そんな贅沢は許されないのだった。
(2001.2.23)


見つめる


 まず手もとの適当な本を開き、そこに印刷されているひらがな1文字を1分間ほど凝視してみてほしい。すると、あ〜ら不思議、見慣れたはずのそのひらがなが、見たこともない象形文字に見えてくる。同様に、良く知っている人の写真を見つめ続けていると、いきなり見ず知らずの他人の顔に見えてきたりする。どうやら「見つめる」という行為は、人間の先入観を消す効果があるようだ。人間は、文字を見たり人の顔を見たりした時に、パターン認識により瞬時に判断を行っている。しかしずっと見つめていると、パターン認識の結果は薄れ、文字や顔を単純な図形の集合として解析し始めるのだと思われる。
 さて、ここからが模型の話である。今回、私が機関車のデザイン(外観)の変更をするにあたって、CAD上でいろいろと形を変えて検討したが、長時間やっているうちに良いのか悪いのかわからなくなってきた。そして翌日改めてそのデザインを見た瞬間に、おかしなところがわかったりする。どうやら機関車のデザインにもパターン認識が重要な役割を果たしているようである。そもそも機関車のデザインは機能上の要求からできあがったものであり、美しいとかバランスが悪いとかいうのは、世間一般の機関車のデザインの平均からどの程度、かい離しているかで判断されているように思われる。すなわち、様々な形式の機関車がパターンとして脳に記憶されており、新たなデザインを考える際、それらと比較してバランスは取れているか、おかしいところはないかという判断を「瞬時に」行っているのである。そういうわけなので、時間が経過してパターン照合から図形の解析に移ってしまった状態でデザインとにらめっこを続けていても、得るものはない。模型のデザイン、特に現実にありそうなフリーランスをデザインする場合は、短時間に分けて何回も検討するのが良いようである。
(2001.1.22)


趣味と年齢


 むかし母が、細かい網目の板に色付き糸をひとつずつ縫い込んで絵を完成させるというキット?を買ってきて、死ぬまでには完成させると宣言して、二週間で完成したということがあった(この絵は今でも実家の応接間に飾られている)。この「死ぬまでに」という感覚は、若いうちはなかなか出てくるものではない。
 私も40歳を過ぎて、改めて自分の人生を振り返ると、あれもこれもとやってきたつもりだが、後に残るものが意外に少ないことに気付く。これではいけない、残りの人生はもっと有意義に生きたいと考えると、形として後に残り、なおかつ大きくて重たくて存在感があり、1台作るのに何年も掛かるライブスチームというのは格好の材料である。20歳の自分であれば、作るのに3年も5年もかかるような工作などやる気にならなかっただろう。なんとなれば、5年という時間は自分の人生に影響を与える時間であり、その間、ひとつの作品に縛られるなどということは考えられなかったからである。しかしこの歳になると、自分の残りの人生はこれでいくかと決断するのもやぶさかでなくなり、そうすると死ぬまでに結構な台数を作れることがわかって嬉しくなったりもする。それに歳を取れば取るほど時間が進むのが早くなるので、長い工作時間も苦痛にならなくなる。ところで、歳とともに時間が縮む原因は何か。我々は概念的には何万年という時間を理解できるが、感覚的には自分が生まれてから今日に至るまでより長い時間というのを知らないので、これが基準になるのではないか。つまり今の年齢が分母になり、10歳の子供の1年が1/10であるのに対して、40歳の大人の1年は1/40になるわけである。実際は現実の1日のサイクルと時間の概念とが加わるので、ここまでの差は出ないわけだが。いずれにしろ、あとは健康で長生きすることだけか。
(2001.1.22)


津和野にて


 古いことばかり書くのも気がひけるが、ネタがないのでお許し願いたい。私は、旅行は6月か9月と決めている。雨に降られる確率は高いが、とにかくすいている。やまぐち号の場合、閑散期に重連運転されるので好都合である。1998年の6月、もちろんC56との重連運転日を選ぶ。SLには乗ってみたいし見てもみたい。1日のツアーで両方こなすのは難しいところである。津和野に向かうやまぐち号に乗り、帰りは乗らずに撮影することにした。前日、妻へのサービスで秋芳洞とサファリパークを観光し、湯田温泉まで戻って一泊。翌朝、湯田温泉駅からやまぐち号に乗る。やはりすいていて、妻と二人でボックス席を独占できた。12系客車を昔風に改造したもので、何となく嘘っぽいが、薄暗くていい雰囲気である。発車の汽笛と連結器の音、そしてたなびく煙と石炭の匂いがたまらない。窓から顔を出して先頭めがけてビデオを構える。前のボックスから、鈴木ヒロミツに似たオヤジが同じように身を乗り出している。邪魔だ!頭をどけろ!と、勝手なことを考える。この日はマイテ49も連結されていたが、先頭なので展望はできない(C56の後部はよく見えた)。古風で豪華な車内を撮影し、そのまま最後尾の展望車へ。デッキへ出ると、心地よい風に包まれる。うっすらと煙が後方へたなびいている。前は見えずともこれはこれでまたいい雰囲気。
 昼ごろに津和野に到着。機関車は重連のまま切り離され、転車台へ向かう。うしろ姿を見送ったあと、駅を出て、数百メートル離れた転車台に向かう。転車台はあるが、機関庫は撤去されていて見学者用の広場になっている。ちょうどC56が転車台に乗って向きを変えているところだった。子供を抱いた父親が、熱心に子供に機関車の説明をしている。子供はうわの空。子供をダシにするようではまだマニアとはいえない。続いてC57が転車台に乗る。長さはぎりぎりで先輪が落ちそうである。90度まわって整備線に入る。ロッドのきしみ音とコンプレッサーの音が生々しい。しっかりビデオ撮影。ここで職員は詰め所に引きこもって昼食。マニアたちは手慣れたもので、地面にすわりこんで、C57をサカナに駅弁を食べ始めている。私といえば、「投炭練習場」の中をのぞき込んだりしていたが、すでに機関庫に入って1時間以上たっており、妻の口から、これでは津和野を散策する時間がなくなると文句が出る。やむなく機関庫を後にするが、呼び止めるかのようにC56の安全弁が吹く。後ろ髪引かれるとはまさにこのことである。やがてにわか雨が降り出し、レストランで昼食兼雨やどり。やむ気配もないので、傘をさして津和野の街を通りすぎ、線路沿いに撮影ポイントを探す。1キロほど歩いて、津和野からの最初の登り坂の中腹で、線路を横切る林道を見つける。雨も上がった。湿った空気はSL撮影には好都合である。
 私はどうしても肉眼で見たかったので、ビデオ撮影は妻に任せて見晴らしの良い場所に立ってもらい、自分は線路のすぐ横に陣取る。待つこと数分、やがて発車の汽笛が山々にこだまし、煙だけがだんだんこちらに近づいてきて、いやがうえにも緊張が高まる。そしてブラスト音も高らかに、黒煙をまきちらしながら、重連の先頭に立つC56の勇姿が現れる。目前に迫ってきておもむろに派手なドレインを切り、これでもかと二輌続けて汽笛の咆吼。すごい迫力!こんなにできすぎていて良いのか・・・とまで思った。この映像を脳裏に焼きつけねば!とあせるが、すでに頭の中は真っ白で、気がつくと列車は通りすぎていた。その後、雨上がりの津和野の街を散策したが、すでに燃えつきてしまった私には、何も目に入らなかった。181系ディーゼル特急(名前は忘れた)で小郡に戻る。
 帰ってビデオ映像をチェック。やはり林道で撮ったシーンが最高である。それから1週間ほど、朝な夕なにこのシーンばかりプレイバックしていた。妻はあきれながら、自分の撮ったシーンをそんなに見てもらえれば、撮影した甲斐があるというものだと言った。
(2000.10.18)


私のパソコン遍歴


 今から20年ほど前、私が学生の頃「パーソナルコンピュータ」なるものが現れた。学科の頭のいい連中がこぞって始めた。私は落ちこぼれてバンドなどやっていたので、自分には無縁のものと思っていた。彼らの会話ときたら、ゼットハチマルがどうのこうのなどと暗号めいており、私など立ち入る余地はなかった(今も昔も変わらないね)。彼らはアスキーとか何とかいう雑誌を愛読し、そこに出ているゲームのプログラムを打ち込んで、データをカセットテープに保存して楽しんでいた。そのうちバンド仲間でも始めたやつがいて、電気屋の店先に展示してあったパソコンを1分ほどチョコチョコといじってリターンキーを押すと、画面に、
アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!アホ!・・・(以下略)
などと表示され、BASICを知らぬ私は、なんちゅうすごいやつだと感心したものだった。科目でPascalの実習があったが、これも友人にプログラムを書いてもらって切り抜けた。当時はBASICが主流だったが、やがて「C言語」という、名前からして凄そうな言語がはやり始め、もう好きにしろという感じだった。
 就職してから仕事でコンピュータを使わざるを得なくなり、さわっているうちにおもしろくなってきた。自分専用に確保した富士通のFM-9でBASICのプログラムを組んで楽しんだ。やがて16bitの時代が来て、MS-DOSが登場する。私はひきつづきのめりこんでいき、TURBO-CとMASMでゲームを作ったりしていた。この頃より「パソコン」という単語をよく耳にするようになったが、経験者はこの呼び名を嫌い、あくまで「コンピュータ」と呼んでいた。ある年に私が出した年賀状には、マシン語のリストが印刷されており、それをPC-98に打ち込んで実行すると、ビープ音がお正月の歌を奏で、最後に「A HAPPY NEW YEAR,(人名)!」と表示されるという凝ったものだった。しかし受取人はだれも理解できず、全く意味がなかった。他にAI(人工知能)にも興味を持ち、自己学習プログラムとかPrologとか、何の役にも立たぬことをやった。
 ある日、会社の同僚が上司をそそのかして高価なパソコンを導入させた。それがMAC IIci だった。その驚異的なGUIは、自分でプログラムを組むという気を萎えさせるには十分だった。実際、ResEditで中をのぞいても、MS-DOSしか知らぬ私にはチンプンカンプンであった。すでに向上心もおとろえ、私は流されるままにMACを買い求め、普通のMAC userになっていった。やがてWINDOWSが登場するが、事情は変わらず、仕事以外でプログラムを組むことはしなくなった。
 WINDOWSの攻勢を受けて、私もやむを得ずMACから乗り換えることにした。当時は円高だったので、GATEWAY2000のPentium120モデルを個人輸入した。しかし半年でマザーボードが壊れ、修理に出しても戻ってこないので、雑誌のパソコン自作記事を参考にしてマザーボードとCPUを交換した。これをきっかけにパソコン改造に火がつき、金が貯まればパーツを買い、中身は二度、総とっかえしている。しかし鉄道模型に熱中するにつれ、パソコンに掛ける金と時間が惜しくなり、ほとんどいじらなくなった。先日やっとCPUをCeleron300から633に換装したが(Pentiumは高いので買えない)、ソケット形状がわからずに店員を困らせる始末である。
(2000.10.18)


一本松運転会


 奮戦記のページにも書いたが、今回最もめだっていたのは、愛知の横田さんの自作C55である。今年のトレイン6月号の表紙を飾ったので、ご記憶の方も多いだろう。製作法も詳しく紹介されている。横田さんは奇遇にも、ご実家が私のマンションから歩いて数分のところにあり、今回の参加も帰省を兼ねてのものだったらしい。運転会の翌日、私の狭いマンションにお招きして、いろいろとお話をうかがった。一部の部品を外注したとはいえ、あれだけのものを自分で設計、製作するなど、やはりただものではない。5インチの国鉄蒸機は私の最終目標でもあるが、軽量化設計など大いに参考になりそうで、私の夢も実現に近づいた気がした。横田さんの夢は、ライブスチームにスケールどおりの客車を牽かせてラジコンで運転し、それを外から見ることだとか。また全国の5インチ国鉄型蒸機を一同に集めて、ラウンドハウスに並べてみたいとも。ようするにNやHOでやることを5インチでやってしまおうというもので、夢をかなえた人の見る夢は想像を絶するものだと思った。
 一方の、二輌の技功舎C57だが、動輪はもとより従台車の鋳物、ドームの形など、実機そのものだった。パイピングもHO細密モデルに匹敵するもので、外観に関しては文句のつけようがない。塗装がまた何とも言えず良い。グレーが入っているように見えるが、ディテールが際だつと同時に、薄くススをかぶったさまは、実機と見まがうできばえである。有煙炭を燃やしていたが、煙突から出る煙の量がまたすごい。市街地であれば町内一円に拡がろうかというほどのものであり、さすがは70kgのボイラーである。しかしキットの値段もハンパではない。BMWの7シリーズが買える値段であり、われわれ平民にはとても手が出ない。鋳物だけなら50万そこそこなので、ボイラー制作、機械加工を自分でやる根性があれば、挑戦してみるのも良い。10年もあれば作れるだろう。それだけの価値はあると見た。
 当日は一本松の中原さんがトップを飾ってPENNSYLVANIAの蒸気上げを済ませ、遅れて出てきた三重連と併走して、イコライザーやロッドの動きを楽しんでおられた。私もその後ろに乗ってビデオ撮影した。カメラ位置を下げると、実機そのものの迫力あるシーンが撮影できる。久々にPENNSYを運転させてもらったが、石炭さえ詰めておけば加減弁を引くだけで苦もなく走ってくれる。こんな小型機が撮影用に使えるほど手軽に運転できるのは驚きである。やはりライブの性能はサイズではない。中原さんは制作中のShayの台車も持参。これは現在、米LIVESTEAM誌に連載されている平岡幸三氏の"New Shay"のもの。連載記事中で制作、写真撮影を担当しているのが中原さんである。
(2000.10.18)


こわい鉄橋と悪夢


 小さい頃は、病気で熱を出したりすると、意味不明の夢にうなされたりする。夢の内容はだいたい決まっていて、意味不明なのだがとにかくこわい。私の中学の友人など、冷蔵庫を持ち上げる夢を見てうなされていたらしい。もう少し成長すると、経験に基づいた意味のある悪夢を見るようになる。
 ここからは実際にあった話。私の実家はコトデン沿線にある。駅から家までの間を川が横切っており、今でこそ歩道橋が掛かっているが、中学の頃までは鉄橋しかなかった。近くの住民は皆この鉄橋を渡って駅に通っていたが、小さなガーター橋で渡り板などなく、枕木の上を直接歩いていたのである。私も毎日この鉄橋を渡って学校に通っていた。
 それは、四国には珍しく雪の降り積もった冬の朝だった。枕木にも雪が積もっていたが、私はかまわず渡りはじめた。五歩ほど踏み出したところで、足もとがツルンとすべり、私の体は枕木の間に吸い込まれた! とっさに両腕で前後の枕木を抱え、宙ぶらりんの状態から何とかはい上がることができた。それからは慎重に歩を進めたのだが、渡り終える直前にまたツルン! 気がつくと私の体は鉄橋の2メートル下の草むらの中にあった。起きあがると腰のあたりに激痛が走る。そのまま学校へ行ったが、ずっと痛みが取れない。帰宅して病院へ行きレントゲンを撮ると、腰を強く折ったために背骨の1個が台形につぶれていた。二週間ほど通院して痛みは収まったが、今でも私の背骨は1個だけ台形になっている。
 問題はその次である。それから1年ほどたったある日の帰り、自転車通学をしていた友人のT君は、自転車でこの鉄橋を渡ると言いだした。車輪をレールの上にのせて、枕木の上を押して歩けばよいと。さっそく渡りはじめたが、そんな器用なことができるわけがない。車輪はすぐレールから脱線し、枕木の間にはまりこんで動かなくなる。しかたないので、枕木1本ごとに自転車を持ち上げて、ゆっくり渡っていく。数分かけてようやく鉄橋の中ほどにさしかかったころ、はるか前方に電車の姿が現れた。やばい! T君と私はあわてて渡り終えようとするが、枕木に固く入り込んだ車輪がなかなか抜けない上、足場が悪くて力も入らない。電車の姿はどんどん大きくなってくる。私は自転車を鉄橋の下に捨てて逃げることを提案したが、T君は聞き入れない。やがて電車はわれわれの存在に気づき、激しく警笛を鳴らした。二人は持てる力をふりしぼって自転車を引き上げ、横倒しにしながら、何とか鉄橋を渡り終えることができた。まもなく二人の目の前を、警笛を鳴らしながら電車が通り過ぎる。二人はその場にへたりこんだが、T君は半ベソをかいている。私といえば、なぜか笑いの衝動がこみ上げ、くるったように笑いつづけていた。この体験がトラウマとなり、その後しばらくの間、私は悪夢にうなされることになる。
 夢の中で私が立っているのは、線路の上である。それは複複複複複複複複複複・・・線つまり左右に無限遠方まで線路が並んでいる場所。やがて線路の彼方からいっせいに電車が走ってくる。あわてて逃げまどうが、当然ながら逃げ場はない。観念した私はその場にうずくまって頭を抱え、運命の時を待つ。轟音と警笛が次第に大きくなり、やがて大音響とともに電車が通過して静寂が訪れる。私はもちろん何ともない。この夢を何度も見た私は、うずくまっていれば通り過ぎることがわかってきたのだが、それでもこわいものはこわい。通過の瞬間に目を覚ましたことも何度かある。今ではすっかり見なくなった夢だが、二度と見たくない夢でもある。思い起こせば、この件があって以来、鉄道趣味から離れていって長いブランクに入ったような気がする。
(2000.10.18)


SL嫌い


 私はエセSLファンである。なぜエセかというと、つい数年前までSLなどに見むきもしなかったからである。特にあのSLブームはウザかった。小さい頃から汽車ポッポが好きだった私は「蒸気機関車」は大好きだったが、あの「エスエル」などという気どった呼び名で、猫もシャクシも大騒ぎするさまを見るにつれ、大切なものをけがされたような気がしたものである。それ以来、よりマイナーを求めて、気動車に興味の対象が移っていったのだ。そんなわけだから、私の住んでいた四国からSL定期運行が消えて以来、生きた蒸気機関車に触れる機会は全くなかった。
 ある日、嫁さんにせがまれて、東京ディズニーランドに行くことになった。こちとら遊園地なんぞに興味はないので、完全なおつきあいである。ところが敵もさる者、ウェスタンリバー鉄道というのがあるなどと人の趣味を逆手にとって気を引こうとする。べらんめえ!遊園地の電車といっしょにするなといいたいところだが、多少の興味あり。さて当日、ロッキーなんとかというジェットコースターに1時間も待たされて乗ったあと、たいして期待もせずにウェスタンリバー鉄道へ。さすがに「ロッキーなんとか」ほどの人気はないようで、待ち時間5分で乗れた。湯気など吐いてSLを気取っているがどうせ電気で動いているに違いない。そら見ろ煙が白い。本物のSLは黒い煙を吐き、ケムたいもんだなどと講釈をたれる。しかしよく見ると駅の天井がすすけている。まさかと思ったが、あとで確認して本物のSL(ただし重油焚き)だと知った。ああそれならばもっと味わって乗ればよかった・・・。それにしても乗ってるときにわからなかったとは情けない。もっとも本物のSLに乗ったのははるか昔の小学生の頃、感覚を忘れていて当然である。期せずして蒸気機関車との再会を果たした貴重な一日であった。その後はやまぐち号に乗りーの、梅小路を尋ねーのと、本物の石炭で走る蒸機を体感し、もはや気動車に対する興味も薄れてしまった。
(2000.10.18)


ジョイント音にこだわる


 日本のJRでは、20メートル級車輌が25メートル長のレール上を走っていますが、かなり正確な6/8拍子のジョイント音が聞かれます。中間車輌の中央より前と、中央より後では、リズムが変わります。汽車旅愛好家にとって、このジョイント音は鉄道を象徴するものでもあります。ジョイント音の大きさは路線により異なり、たとえば、私の地元の岡山から高松までマリンライナーに乗ると、本州側では高架が多くてロングレールが使われているせいか、ジョイント音はほとんど聞こえませんが、四国側に渡って高架を降りると、途端に騒がしく聞こえるようになります。特に四国のジョイント音はうるさいほどで、レールの伸びやすい気候のためギャップを大きく取っているのかも知れません。
 これを模型の世界で再現するには、レールをスケールどおりに切ればよいことになります。16番であれば313mmごとになります。フレキシブルレールを使うことになりますが、1mで使うのではなく、313×3=939mmで切断し、313mmごとにレールに切れ目を入れてやり、これをつないでレイアウトを作ると、実物通りのレール長になります。ポイント部分は寸断されますが、これは実物も同じです。Nゲージの場合も同様に計算できます。
 外から聞いているだけでは意味がないので、車内で聞けるようにします。最も簡単なのは、ワイヤレスの小型マイクを車内に仕込むことで、その手の店で買える盗聴用マイクが適当でしょう。通常のマイクの中の素子を取り出し、コンデンサを介してレールに音声信号を流すという手もありますが、信号が小さいのでノイズが増えそうです。アンプまで搭載すれば完璧といえます。いずれにしても中間車輌に付けるのがミソで、搭載位置もいろいろ変えてテストする必要があります。三軸ボギー客車に搭載するのも面白いでしょう。以上、あくまでアイデアですが、いずれはテストしてみようと思っています。実物とはかけ離れた音でしょうが、スピードとともに変化する様子や、ポイント通過でリズムが乱れる様子など、充分に楽しめるのではないでしょうか。
(1998.11.18)

追記: ライブでこれをやるには、まず庭園鉄道のオーナーにならないと無理!