2007年5月 「鋳物の進捗」
参考までにということで、一部の鋳鉄が、鋳造されたままの形で送られてきた。湯(溶けた金属)は矩形の湯道を通って、木型で形成された空隙に流れ込む。右は裏返した写真だが、見切り面の反対側に突き出ているのが湯口棒で、ここから湯が流し込まれる。従って鋳造時はこちらが上、木型は下向きになる。ちなみに、鋳造用語では「木型」といわずに「模型」という(英語ではpattern)。本サイトでは、模型というとまぎらわしいので、木型と呼びたい。
鋳造メーカーでは、この状態から鋳物を折り取り、ゲートとバリを削り取って製品にする。作例でバリが多いのは、空気抜きのため意図的にすき間を開けたことによるらしい。バリは急冷でチル化しているので硬く、ヤスリで削り取ろうとするとヤスリを痛める。グラインダーなどで除去する。鋳物を取り去った湯道などは、再溶解されて次の鋳物の材料となる。
一連の鋳物のなかで最もややこしい「加減リンク受」が上がってきた。鋳型には自硬型の材料を使ったということで、鋳肌がとてもきれいである。そして深い彫りも見事に再現されている。市販品の価格を見ると、加減リンク受鋳物は動輪鋳物より値段が高かったりする。それだけ手間がかかるということである。
加減リンク受の鋳型の写真を送ってもらった。中子だけ色が異なっており、主型とは違う材料で作られていることがわかる。木型の構造については、2006年8月の報告を参照のこと。
鋳物は砲金製のものも必要である。WILLIAMの時は香川県の鋳造所にお願いしたが、社長が亡くなって廃業してしまった。今回は、鋳鉄をお願いしているK氏に、名古屋の非鉄合金鋳造所を紹介してもらい、そこで鋳造してもらった。小物、少数であるにも関わらず、二つ返事で引き受けてくれた。鋳造してもらったのは、先輪と動輪の軸箱、先台車揺枕、ブレーキシリンダー、復元装置シリンダーで、材料はBC6である。短納期で仕上がりもきれいだった。
【木型定盤作製】
鋳造を依頼している鋳物は、砂型鋳造の常識にそぐわない小物、薄物が多い。単独では砂型から抜きにくいので、指定の設計に従って、木型定盤を作製した。サイズは、410x360ミリ。
材料はMDF(木質繊維ボード)で、3コーナーに円錐台のダボとダボ穴が形成されている。向かって左が下型用で、湯道(移動可)が形成されている。右が上型用で、こちらには湯口棒(移動可)が形成されている。通常の木型は下型用に貼り付けて使用される。
上型定盤のダボ穴を形成するためのカッターを作った。材料はS45Cで、30ミリ丸棒から機械加工したものを焼入れし、刃の部分を軽く研磨した。刃はテーパー面だけに形成されている。定盤にエンドミルでストレートの穴を開け、このカッターで円錐形に拡大するという前提である。
下型定盤のダボは、ヒノキの丸棒を旋盤で削って作った。端面を仕上げ、テーパーに削り、サンドペーパーで研磨してから突っ切る。トップスライダーの角度は、ダボ穴カッター旋削時のまま保持してあり、同じテーパーに仕上げた。できたダボを上型定盤のダボ穴に入れ、接着部にボンドを塗り、下型定盤を重ねてクランプして養生する。これで上下の嵌合位置は完全に合うことになる。
【大井川鉄道その他】
生まれて初めて、大井川鉄道を訪れた。静岡の玉井氏の招待で実現した。蒸機列車に乗ったのは、山口号、梅小路、阿蘇ボーイに次いで4度目だが(ディズニーランドも入れると5度目?)、その中でベストと言っても過言ではない。他の鉄道はあくまで蒸機が主体だが、大井川鉄道は、蒸機が主役だった鉄道そのものを再現している。架線があるのが唯一の難点だが、それを除けば、昭和30年代の地方の国鉄そのものであった。印象的だったのは、沿線の人々が皆、列車に向かって手を振ってくれること。この蒸機鉄道を誇りに思い、守り立てているのだろう。その力がある限り、大井川鉄道は存続するに違いない。
まずは機関車の全景。千頭駅に入線するC11 190である。
千頭駅のホームの両側にずらりと並ぶ旧型客車。こんな光景は、大井川鉄道以外では見ることはできない。
千頭駅で発車を待つC10のキャブ内。圧力計が、最新のパスカル表示のものに交換されている。
玉井氏撮影の「投炭練習」。カタブツの私は、普段はこんなお茶目な行動は絶対に取らない。
新金谷駅の機関庫。蒸機がうじゃうじゃ居る!
玉井氏の紹介で、同じ静岡のN氏の工房を見学した。実はこの方、5インチのC53をまさに製作中なのだ。自分よりずっと進展していて、下まわりの部品はほどんどそろっており、ボイラーも完成している。N氏は鋳物部品を、真鍮素材の加工、銀ろう付けによる組み立てで再現しているが、これがほとんど実物どおり。主台枠内部の見えない部分に到るまで、忠実に形状を再現している。写真は加減リンク受で、上で紹介した鋳物と比較してほしい。N氏は現在までに多数のライブを自作されているが、その集大成がC53で、今までのものは練習台とのこと。とんでもない人の出現で、大いに奮起させられたことは言うまでもない。
今月は、欠伸軽便鉄道の運転会にも参加した。写真は、森氏と井上氏の35ミリ血圧計機関車の並走。今回はあの平岡幸三氏も参加。とにかくそうそうたる顔ぶれだった。それに引きかえ、大先輩に囲まれた自分は、作品も持参できず、鋳物と昔の写真を披露してお茶を濁しただけであった。次回こそは・・・